おいしさはやさしさ

旅行の日記とか独り言です

「君がいない夜のごはん」を読んだ

一時期、穂村弘のエッセイにだだハマりして以来、エッセイ集が出るたび欠かさず読んでいます。今回はふらっと入った本屋で見慣れぬタイトルの本を見かけ、2月に出ていた最新作に気づいていなかった自分にショックを受けつつ本を買いました。

布団の上で菓子パンを食べてしまうだらしなさも、自分の味覚に自信を持てない気持ちも「わかる〜!」と思いながら読んでいました(さすがに布団が汚くなるのが嫌なので、菓子パンは布団の外で食べますが)。

わたしの持論ですが、感情が豊かな人は食べ物の好き嫌いもはっきりしているように思います。感情が希薄な私は、あまり食べられないものがありません。ただ「苦手な食べ物」があり、しいたけのバター炒めとスモークサーモンがそれにあたります。

「食べ物の好き嫌いはよくない」という小学校での教育が功を成したのか、最近になるまで自分は食べ物の好き嫌いがないと思っていました。それこそ腐っていないものであればだいたいは食べられます。そんなある日、「食べられはするが息を止めて食べている」食べ物があることに気がつきました。それがしいたけのバター炒めです。一言でいうと「においにクセがありすぎる」。しいたけ自体は鍋に入っていたり天ぷらとして出てくるものも抵抗なく食べられます。バター炒めも、他のキノコやほうれん草を炒めたものなら美味しいくらいです。だけどこの組み合わせはNG。周りの人にこの話をしてもあまり共感が得られないので、やはりこれは「苦手な食べ物」に違いありません。

自分にも「苦手な食べ物がある」と自覚してから約5年、新たに苦手な食べ物を見つけてしまいました。それがスモークサーモン。NYで間違えて巨大なサーモン&チーズ入りベーグルを選んでしまい、陰鬱な気持ちで食べきった記憶が薄まらない頃、友人と海外旅行に行きました。最後の夜に海鮮レストランに入り、お互い好きなメニューを選んだところ、友人のチョイスはスモークサーモン。お互いシェアしながら食べていたのですが、わたしがスモークサーモンにあまり手をつけていないのを見て友人がもっと食べるよう勧めてくれました。そこで初めて「あえてこのメニューを食べたい人がいるのだ」ということに気がつき、逆に自分はスモークサーモンが苦手といえることを意識しました。「そんなに好きじゃないから残り食べていいよ」と言ったら「それなら頼むときに言って」と返され、まあ確かに逆の立場ならそう言うなと。それ以降、何人か周りの人にスモークサーモンについて聞いてみましたが、やはりあえて頼むメニューらしいですね。自分の苦手な食べ物が分かって良かったです。

苦手なものをそれと意識してしまうと、なんだか人生の可能性を狭めてしまうようでもったいない、という気持ちがあったのですが、20代も後半になり、「苦手なものを自覚して、それに遭遇しないようコントロールするのは人生を謳歌するための一つの手段である」と思えるようになりました。まだ気付けていない「好き嫌い」がある気がするので、今度はそれにどう気付けるのか楽しみです。ごきげんよう