おいしさはやさしさ

旅行の日記とか独り言です

インターネット上の日記はメッセージボトル

怒涛の眠りシーズンが少し落ち着いてきて、本が読めるようになってきた。

「日記をつけて何になる?」という本を読み終え、「本とは何か」という本を読み進めている。はからずも書名が疑問形の本ばかりだ。

「本とは何か」はまだ読みはじめたばかりだけど、本を読むという行為は、本を読んでいるときだけでなく、本を読んでいる期間のうち、本を読んでいない時間にもぼんやり本のことを考えて本のなかの世界に浸ることができるのが特徴的、という話が面白かった。実際に「日記をつけて何になる?」の本を読んでいる間や読んだあとにぼんやり日記について考えていた。

わたしはもともと手紙を書くのが好きで、いまでも旅行先から実家や友だちにハガキを出すし、大学生の頃は友だちの誕生日にバースデーカードを送っていた。海外の人と文通をできるサービスに登録して、オランダやロシアの人たちと手紙を交換していたこともある。どうぶつの森で、仲良くなりたいキャラに手紙を送ると仲良くなれる、と聞いては手紙を出し、たまに海辺に落ちているメッセージボトルを見かけるとテンションがあがっていた。ボトルのなかのメッセージはだいたい大したことが書かれていなくて、その意味のなさがまた好きだった。

こうやって半年以上、ほぼ毎日ブログに日記を書いているのは、わたしにとってはメッセージボトルと同じことなんだと思う。誰が読むか分からないし、役に立つ情報を書いているつもりもないけど、自分が1日生きて過ごした痕跡のようなものをインターネットの海に流している。他の人の日記ブログを読むときも同じ気持ちで、すごく濃厚な役立ち情報を求めているというよりは、どこかの誰かが流してくれたメッセージボトルを見かけて拾って、なんでもない手紙が届いたことをうれしく読んでいる節がある。

たしかメッセージボトルの存在を知ったのは小学校に上がる前で、それからしばらくは海に行くたびにボトルが落ちていないか探していた。まだ現実でメッセージボトルに出会えたことはない。いつか物理的なメッセージボトルを拾いたいし、自分も物理的にメッセージボトルを流してみたい。確率的にはなかなか大変そう(特に拾う方)なので、ひとまずこれからも小さなメッセージボトルをこまめに流してみることにする。