この夏の海外旅行は、一人旅@インドネシアでした。写真で振り返ってみます。
Day0
羽田→KL(機内泊)
Day1
KL→ロンボク島(スンギギ泊)
Day2
スンギギ→ギリトラワンガン(ギリトラワンガン泊)
Day3
ギリトラワンガン→バリ島→ジョグジャカルタ→ボロブドゥール(ボロブドゥール泊)
Day4
Day5
おわり。
毎日雨続きで気持ちの晴れない夏。天気が良ければ良かったで文句をいうんだから、ワガママなもんだな。ピーカンな暑い空気の中、ビアガーデンで冷たいビールと枝豆、が恋しい。昼間っからビールの背徳感、久々に味わいたい。
ということで夏休みの旅行の予定を立てています。今年はインドネシアへ!相変わらず移動好きなのでいろいろ調べまくっている。自分の行きたいところ、やりたいことを実現するための手段を探して見つけて、やりたいことを組み合わせて、っていうのを繰り返して旅行プランを作ってるのがとても楽しい。そんでありえないほど歩き回って辛くなるのすら良い思い出。
仕事も、行き先は与えられるけど、そこから何を楽しもうとするか、どうやったら楽しくできるのか、手段はいろいろあるけど何を取るか、みたいなのって旅行と同じ考え方ができるんだろうな。って最近イマイチ気持ちが乗り切らない仕事をしながら、もんもんとしてしまう気持ちを切り替える旅行です。身の丈プラスアルファの仕事だからやり方分かんないし、いつまでもそこをぐるぐるして抜け出せない…って深みにハマっている最近です。できないことをできるようになりたい、と思っていまの職種・会社を選んだけど、そこよりも「息をするようにできること」をする方が苦しくないしコスパもいいはず。でも最初っからそんなとこに閉じちゃったら世界は広がらんぞ。
http://aniram-czech.hatenablog.com/entry/2017/08/10/220000
自分のできること、って自分の想像力の範囲内に閉じがちで、その範囲内で遊ぶのも楽しいけど、そもそもの枠を広げてくれるのは偶然か他人なんでしょうね。って最近人と関わりながら思うなど。人に枠を広げてもらうことは多いけど、私も誰かの枠を広げられたいな〜、思いました。はやく旅行行きたい。
長らくブログを書いていないうちに、7月も下旬になってしまった。何だか最近人の流れが違うな、と思っていたら、子どもたちは夏休みに入っているらしい。確かに、日中出歩くには暑すぎる。私もやっと夏休みを取る気分になってきました。
前回ブログを書いたのは、アキレス腱を痛めて歩けなくなり会社を休んだ日だったのだけど、それから2ヶ月ほど経っても、また足を痛めるのではないかと怖くてヒールが履けない。といいつつ、たまに履くと次の日に足がとてもむくむ…せっかく社会人になってオトナの階段をのぼれたと思っていたのに。こうなったらおしゃれなスニーカーを極める。
こういうことを一時期やっていたのだけど、社会人2年目になって、「UXデザイナー」という肩書を社内で担っていて、でもあまりに知識が足りないのでコツコツ本を読むことにした。目安は週二冊。ここ最近、あまりに忙しくて読書もできていなかったけど、年間目標100冊を目指して、ここからペース上げていく。ちなみに、海外カンファレンスにも参加できることになったので、英語でもUXデザインの勉強をできればと思い、Podcastの購読と、メルマガの購読を始めた。一日ひとつ…頑張るぞ。
そんな最近です。いろいろ経験しても自分の中に閉じてしまうともったいないので、また情報発信再開していこう。という気持ちです。ごきげんよう!
この土日、あまりに天気が良かったので遠出しました。
関西から鎌倉って若干行きづらくて、せっかく東京に住んでいるんだから今のうちに、と思って海沿いをぶらぶら。
したら、月曜朝起きたら足首が痛むこと痛むこと…
日頃、運動しない人が急に出歩くとやりがち、らしいのですがアキレス腱を痛めました(思えば高校生のときにもやらかしたんだった)。家の中の移動すら厳しかったので、往復合わせて1時間程度かかる会社への出勤は断念…気持ちと頭は元気なのに、移動手段がないせいで有休を使って引きこもって勉強をしています。
そんな私は星野源にかなり共感してしまうくらい、「生活」が苦手らしくいろいろやらかします。
思えば幼稚園の頃から毎日ハンカチ・ティッシュを忘れ続けたり(登園日のうちトータル5日くらいしか持っていってないと思う)、小学生になっても、大事な書類をカバンに入れっぱなしにしてしまったり(期限日に周りの子たちが紙を持っているのを見て存在を思い出す)、最近も光熱費の支払いを忘れて口座が空っぽだったり…
このままじゃいかんな、と一念発起し、後回しにし続けた(玄関にハガキを置きっぱなしにしていた)自動車運転免許の更新に行ってきました。足が痛いのでは、という自問自答は、徒歩圏内ならば出勤するより俄然負担が少ないはず、という気持ちのもと乗り越えまして。人生2回目の更新にして、ついにゴールド免許を手に入れました。そそっかしい私がなんでゴールドかって、ペーパー免許だからに違いありません。最後にハンドルを握ったのは2年前に実家の車で運転したとき…?記憶があやふやなくらい運転をしていない。まあいまや東京で生活してるからね。(※補足:実家に帰っても、私にだけはみんなハンドル渡してくれない)
そんなだから講習で久しぶりに運転手席からの景色を見たのだけど、本当に車って乗りこなすのが難しい乗り物だな。住宅街とか運転していたら、そりゃ急ブレーキ踏むことなんて結構な頻度であるんじゃなかろうか。と思ってこの記事を思い出していた。
まあ、この「思いやり」のおかげで残っている仕事や救われている人もいるのかもしれないけど。とはいえ住宅街での運転は、自動運転でなくとも私はしたくない。中途半端に守るからうまくいかないのかなぁ、なんてもやっとした気持ち。まあ、私が次に免許を更新する頃、5年後には自動運転とか発達してくれてほしいな。免許の更新という概念すらなくなってほしいな。なんて言ったら車好きの人に怒られそうだけど。車という存在が困るわけではなく、あのでっかいスピードの出る操作の難しい機械を、ただでさえ運動神経の悪い私が操作しなきゃいけないのが辛いよ。
最近久しぶりにこの本を読み返しているのだけど、インターネットの影響が大きいと言われるのは、インターネットという通信形体じゃなくて、インターネットによって人々の生活形式が変わることなんだと。まるで自動車の出現によって、モータリゼーションという変化が起こり、人々の暮らしが変わったように。それこそ、車を通すためのだだっ広い道ができたり、車で出かけるという新しい余興が生まれたり。いつか自動運転社会がやってくるんじゃないかな、と思いながら、モータリゼーションの次に何が変わることになるだろう、とぼんやり考えていた。きっと、地道と高速という区分は変わるだろうし、信号というものはなくなるだろうし、バスとタクシーは概念が混ざってUberの乗り合い版みたいな存在ができるんだろう。車の所持という概念も変わるかもしれない。免許がなくても車が使えるようになるから、子どもや高齢者が車にアクセスしやすくなるだろう。ただ燃料のガソリンは買わなきゃいけないから、そこの経済はしばらく持続するんだろうな。っていう何が実現するかしないか分かんない戯言みたいなことを言ってみます。
が、この考え方も結局上で上げた人たちの考え方をちょっとずつ借りたものなので、今日考えていることは下記Tweetに集約されます。
「自分の頭で考える」のは大切だけど、各々の判断を「これは自分の頭で考えた!」ってみんな本当に自信を持っていえるのかな。自分の頭で考えたとまわりの環境から思わされているだけ、という可能性は考慮しないのかな。私は「自分の頭」と「他人の頭」の境目でいつも戸惑っている。
— チェコ好き (@aniram_czech) 2017年2月24日
ということで、有休な一日、残りも楽しみましょう。なーんて。
気がつけば5月、それも半ばですね。GWは海外に行っていたのですが、出国前と帰国後で季節がきれいに入れ替わっていて、急いで衣替えをしました。衣替えと一緒に模様替えもして、気分一新です。 今回は特にテーマもなく、思ったことをつらつらと書いていきます。
今日のほぼ日にこんな一説がありました。
無理やり病気を探し出して、過剰な治療をするつもりもないけれど、身体のメンテナンスは、こまめにやっていたほうがいい。
まさに今週末から体調を崩し、金曜から午後休を取って休んでいる私に響く言葉。もともと扁桃腺から風邪を引くことが多く、熱はないけど違和感を感じていたのですが、予想通り風邪でした。病院では「花粉症で鼻炎が悪化していることによる風邪です」と言われたものの、敢えてこのタイミングだったのもなんとなく分かっていて、仕事の過緊張がちょっと今週緩まったからなんだろうな〜。
実家は「少し体調が悪い」だけで病院に行くことを父親が執拗に勧めてくる環境で、いつからか「病院に行く」ことが嫌いになってしまったのですが、働き始めてから少し感覚が変わり、可能な限り自分のパフォーマンスは高い状態でありたいな、と思うようになりました。そんなこんなで、昨日は久々に39度台まで熱が出てしまったので、今日は一日ゆっくり過ごします(ディズニーに行く予定があったのだけど)(無理だった悲しい)
今週やたらSNSで見かけるエムグラム診断、私も診断してみました。
なるほどね、たしかにね、という診断結果でした。「そそっかしい」とか本当にそうなんだけど、あの質問への回答結果のどこから判断してるんだろうスゴイ!
こうやって自分の性格が言葉になると、人へ説明するのは分かりやすくなって良い反面、自分の性格を自分で決めてしまう、というのは懸念でもあるかな、と個人的には思いました。「B型の性格は◯◯らしい」と聞いて、B型が自分勝手に振る舞いがち、とか。まあ、そもそも特徴的な性格を自分で説明することの難易度はまだまだ高いので、この結果を人に伝えるメリットはすごく大きいはず。
そんなエムグラム診断の裏側の話、とても長文ながらとても興味深かったです。
この診断結果から改めて自分の内向性を意識して、積ん読だったこの本を読みました。
書かれている内容としては、普段私が見ている世界とそんなに大差はありませんでした。私自身、小さい頃から内気に一人遊びばかりしている子でしたが、ある時「人前に出られる自分があった方が生きやすい」ということに気がついて、外向的な自分を作っていった節があります。頑張って自分の根っこを上書きしていたつもりだったものの、じっくり振り返ると外向的な自分でありつづけるのは自分にとってすごくストレスがかかっていることに気が付き、両方の自分を持っていることを自覚しようとした・・・流れがちゃんと体系的に説明してある本でした。
私にとって当たり前すぎることが書かれているので、これとは違った見方で世の中を見ている人がいるということを逆に意識するようになりました。外交的な人には世界がどのように見えているのだろう。自分の当たり前が人の当たり前ではないということは、面白いなあと思います。
久しぶりに大学時代の知り合いに立て続けに会って、「そういえば私ってこういう話し方をする人だったな」「こういうトピックに興味を持っている人だったな」と自分を思い出すきっかけになりました。
「協調性が異常に高い」がゆえに、環境に染まりやすい私。会社に入って、一つメインの居場所のみで過ごしていて、そのことが逆に私にとってすごくストレスフルだったことに気が付きました。
そんなときに下のブログを読みまして(エムグラム診断の裏側の方です)、
私も人の悪意に敏感だし、仲間はずれにするのもされるのもすごくエネルギーを使う。そんなことに気を使っている暇があるなら、一人で面白い本を読んでいる方がよっぽど有意義な時間を過ごせる。と思った(のが理由かはさておき、)学生時代はいろんな組織に所属してふわふわ漂っていました。八方美人なのではなく、ただただ自分のアイデンティティを複数持ちたかった。そんな私は「一つコミュニティを決めないといけない」修学旅行の部屋決めがとっても嫌でした。普段は割とキラキラしたメンバーと一緒にいる割に、こういうときは最後までメンバーを決められないもやっとしたグループにいたりして、でもそんな風にクラスメートを分けて見ている自分にまたイラッとして…ああやだやだ。しなやかに生きていきたいですね。
ただ、話戻って、内向的な人は「人が攻撃することは確かによくないけれど、威嚇することまでは受容できるように」あったほうが良い、と先述の本にあり、たしかにこの社会で生きていくなら、その感覚は必要だと思うのです。最近なんだかずっと調子悪くて、あっちこっち皮膚炎を起こしたり、それこそ体調を崩したりしています。別に今担当している仕事内容が嫌いとか、周りに悪い人がいるわけでもないのにどうしてだろう、と思っていたのですが、最近原因に思い当たり、仕事をしている体制が良くないんだろうな、とやっと言語化できるようになりました。お互い悪気はまったくないんだけど、このタイプの人と今の体制で仕事をし続けることは自分にとってとてもしんどい。それを言語化できたとき、解決策がちゃんと見えるようになりまして、やっぱりちゃんと説明できるのは大切だな、と思いました。文句や愚痴って逃げのようで嫌いなのですが、文句を言わないことと、自分の不調の原因を説明できないことは別なんでしょうね。
そんな最近です。 さて、今日はゆるゆる休んで明日に備えますか〜ごきげんよう!
今日は何だかいい天気。初夏の訪れを感じて、うきうき散歩をしました。最近は、いろいろ歯車がうまく噛み合っていなくて息苦しかった。ちょっとずつ、脱出しようと踏ん張っているところです。なので久しぶりのブログは、近況を脈略なくつらつら書きます。
#
ビタミンBを取りましょう。肌の調子が悪すぎて仕事にならず皮膚科に行ったら、ビタミンB不足ですって言われた。タンパク質が足りていないらしい。確かに炭水化物ばかり食べがちだし、野菜ジュースは意図的に飲んでるけど、タンパク質はあまり意識していなかった。チョコラBBの有り難さが分かりました。外食はお金かかるし、お昼食べる時間ないし、と思ってコンビニごはんが続いていたけど、昼ごはん食べるのが楽しみなわけでもないし…ということで自炊生活再開しました。冬眠時期から抜け出して、台所に立つのも苦痛じゃなくなって来たので、最近ちょこちょこご飯作ってる。自分が作業したものが終わりを迎えて、自分で楽しめる状態になるのっておもしろいし達成感あるから良い。「きのう何食べた」のシロさんの感覚が分かるような。ただ、自炊生活で困るのは、外食が続いたときに自分が作ったご飯がそのままダメになるつらさ…ちゃんと計画的に作って計画的に食べるぞ。
#
自己効力感が大事なんだな、って仕事をしながら思った。仕事をしていて、前に進んでいる感覚はそれ自体が力になる。自分がいることでその仕事が変わっていくこと、それを客観的に振り返られる形にしていくことって大事なんだろう。私が好きな漫画のハチクロのなかに、はぐちゃんが「世の中の知らないことが詰まっている箱をあけて、その箱から出てきたものをうまく消化して、納めなおしてあげて、またその次の箱をあける」というシーンがある。いきているうちに何個の箱があけられるのだろう、自分ひとりでこの箱に向き合い続けるのだろうか、という話。私もこの箱の感覚は分かるし好き。はぐちゃんと開ける箱は違うだろうし、開けた箱の中身の納め方なんてきっともっと違うんだけど、この箱に何個向き合えたか、それが人生なのかもなーと最近思う。
#
シエスタがある暮らしをしたい。毎日仕事で頑張るのもいいけど、仕事以外にも目を向けられる日々を送りたい。スペインでワーホリビザが解禁というはなしを聞いて、今まで他人事だと思っていたけど、30歳以下が対象なら自分も対象なのでは、とふと気がついた。人生面白い方に3,000点。2年後くらいにこれで私がスペインにいたら面白いな。
#
自分と他人は異なるということ。映画「ムーンライト」が良い、と聞いて見てきました。飲み会後のレイトショーで、頭がぼんやりしているのと、出だしを見逃したのとで映画を見終わってしばらく???という気持ちだった。あとから各シーンを思い返したり解説の記事を読み、結論、LGBTを扱っているものの、大事なのはそこじゃなくて、人生は各々が自分の立場を忘れず生きていくものである、みたいなところなのかな、と思った。起承転結があってストーリーが面白い、タイプの映画ではなくて、映画をきっかけに自分を問い直すような映画だった。ちなみに先週は「夜は短し歩けよ乙女」を観に行ったのだけど、対極にあるような映画ですね〜
#
会社で後輩にあたる人と話す機会がときどきあり、私もついに2年目なんだな、と自覚することが増えました。1年間で何ができるようになったのか、自問自答しつつ明日からも頑張りましょうかね。今週乗り越えたらGW!久しぶりの海外旅行!楽しみ〜
ということで。ごきげんよう!
人が働くってどういうことなんだろう、って最近思っている。もし、お金持ちのニートになれるなら、日々働かずに過ごすのかもしれない。でも、自分が生きた証を残すために、それでも働くのかもしれない。
2016年3月、ペルーはプーノ。ウロス島など観光資源はあるものの、ペルー国内の地方都市であるプーノの失業率は高い。地元のお店や、観光業以外の人は仕事がなく、都会に出てしまうことも少なくないとのこと。そんな淀んだ空気の、若干治安の悪そうなプーノで、人が集まっていたのがこの一角。人々は張り紙を見ながら佇んでいます。その張り紙、ちゃんと見るとこのようなもの。
そう、求人一覧です。この街で住みながら、仕事を持っていない人。生きていくためにお金を稼ぐ手段も、自分が生きていく役割もない。そんな状態でぼんやりとこの求人を見つめている。何を思っているのか、当事者でない、言葉も背景も分からない私には分かり切ることはできません。でも、言いようのない侘しさや、せっぱつまった感じや、生き辛い気持ちが彼らの背中から漂っている。この街角を通ったのはほんの1分に満たない出来事でしたが、心に深く残っています。人材系の会社で働く私がしているお仕事って、突き詰めるとこういう世界につながるのです。
自分が働く意味も日々見失いがちですが、そんな自分の仕事が、こうやって仕事を探している人の一つ一つの決断を支えるべきであること、忘れずにいたいな、とふと思いました。まだ月曜なんですね。明日から寒くなるようですが体調に気をつけましょう。ごきげんよう!