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おいしさはやさしさ

社会人になりました

分かるユーモアとそうじゃないユーモア

金曜日でした。会議もなにもない金曜日!一人でやりたい作業だけをできて非常に楽しかった。久しぶりに人とまったり話したりして、なんとなく充足感を覚えた。そんな会話のなかで気づいたのだけど、周りの人のなかに、たまにクリティカルヒットする人がいる。ふわっと思ったことなのでまとまりもないですが書きますね。

私が人と話しててヒットするかんじ、たぶん2パターンくらいある。性格的に似ているな、という人と、物事の捉え方が似ているな、という人。両方かぶっている人と話しているととても楽しい、けど似ているがゆえに盛り上がらなかったり視野が狭くなったりするように思う。性格的に似ている人は、話していてとても楽。ただ、わたしはあまり感情の起伏が見えないらしいのですが、同じパターンの人にはお互い伝わり合っているような気がする・・・気がするだけかもしれないけど・・・でも周りの人には伝わらないんだよな・・・おもしろいな・・・そして物事の捉え方が似てる人はなんかわかんないけどわかる。これも面白いんだなー実際に相手も似てると思ってるかどうかわかんないけど!相手に確かめたことなし・・・相手の頭の中をトレースしているように分かったりして面白い〜雑感だけど、この「モノの捉え方が分かる分からない」は性別というよりも過去に過ごしてきた環境に影響を受けるように思う。私が女子校出身のせいか、性別が同じである共学女子よりも男子校出身の人の男の人が考える思考プロセスの方が分かる気がする。。。

そしてユーモアってこのあたりの癖というかセンスが出るような気がしていて、私は「自分が好きなものが好き」「自分がツボったものしかSNSで発信しないから、逆に自分のSNSを振り返ったら自分の好きなものしかタイムラインにない」という感じなのですが、そのつもりでSNSを見ていると同じ気持ちで使っている人が結構分かる。 自分語り用にSNSを使うのではなくて、自分がおもしろいと思うものを人に伝えたくて、その内容から自分を知ってもらいたくて使っている感じがする。あとTwitterのお気に入りも、見返すと自分が好きなものしか入ってなくて好きすぎて割と何度も読み返している。結局、自分が分かるのは自分だけで、他人はうまく自分領域とベン図がかぶっている場合しか分かり合えないんだろうな〜〜〜とか思ったりする。あと、自分のなかにある「他人にドヤりたい気持ち」のせいで、人のどやりたい気持ちも分かってしまうし、その気持ちがから回っているのも見えてしまう(そして自分も逆にバレてたりするんだろうな・・・)

ちなむと、大学生時代のバイトで個別指導塾の講師をしていたのだけど、国語の論述で「この人がいままで読んできた本の量」が分かるな〜と思った。純粋に言い回しのパターンとか漢字を書ける書けないもあるけれど、言葉の引き出しというか、センス的なものがにじみ出たりしていた。ただこれって国語に限った話ではなくて、音楽のセンスとかファッションセンスについても「逆もまた然り」なんだろうな〜

言わんとすることがバラバラでわかりにくいものの、そんな所感を抱えた金曜日でした。