おいしさはやさしさ

旅行の日記とか独り言です

デザインも言語の一つだと思う

最近暖かいな〜と油断していたら、突然の寒さで驚く木曜日です。部屋が寒すぎて、暖房が効いていないんじゃないかと思った。雪も降ったり止んだりしていて、すっきりしないお天気です。

そんな一日、今日はやるべき仕事を終え、早めに帰ってきたのですが特に書きたいことも思い浮かばない。いろいろ考えちゃうモードの日は、朝から複数トピックをエンジン全開で考えて数日間それを続けるのですが、しかもそれをほぼ日手帳に書く暇や元気もなく、熱が冷めてきた頃に思い出して書き留めようとするも、熱がさめたので思ったよりスカスカなことしか書けない、みたいな日は一ヶ月に一度くらいあるのですが。

思い返せば、昨日親が家に来たことが結構なストレスだったので、そこからの解放としてエネルギーが足りていないということかもしれない。仕事で「うまく進められない」葛藤から脱出したのも、心がスッキリしている理由かもしれない。それとも、単純に今日人と取ったコミュニケーションが少なかったので、特に何かを考えるきっかけがなかっただけかもしれない。

などなど書いていたらちょっと書きたいことを思い出した。

デザインは言語の一つだと思う

という話。

語学フリーク

急に過去の話になりますが、私が受験勉強のときに一番好きだった科目は英語でした。といっても、センター試験の最初のアクセントとか文法ではなく、英語ができることで得られる情報が広がることや、英語の文法の裏に隠れている思考プロセスの違い・価値観の違いが見られることが私にとって刺激的だったように思います。当時はそんなに細かく「英語のどこが好きか」がわからなかったものの、とりあえず語学好きになった私は、その後中国語を大学で履修し、スペイン語とフランス語をラジオでちょっとかじり、ハングルを読めるようになったり、という言語フリークになりました。

全部「ちょっとかじっただけ」ではあるものの、言語を知ることで他者を知ったり文化の違いを知ったり、毎日過ごしているだけでも自分ごとだと思えるニュースが増えたり、という日々の変化がありました。ただ、「ペラペラ話せるようになる」ほどに頑張ったわけでもなく、自分の興味関心が続いている間だけ情報摂取する、ということを続けていました。その勉強は時々旅行中などに発揮され、韓国旅行で時々ハングルを読めたり、南米旅行で食事の注文だけできたり、中国でも買い物や電車の乗り換えができるようになったり・・・

高校生のころに家族旅行で行った中国旅行では、周りの人たちが話している音がノイズにしか聞こえず、帰国後に耳に入るノイズが全て中国語に聞こえた思い出があります。それも、中国語を勉強してからは解消され、3週間北京で過ごしたあとに帰国してもちゃんとノイズはノイズと認識できるようになりました。少しでも「意味の分かる塊」があれば、霧が晴れることがある、と知る経験でした。

プログラミング言語と出会う

時は経って2年前、人づてにベンチャー企業インターンをすることになり、今まで人生で出会うことのなかった「プログラマー」という職種の人を初めて現実に見ました。よくわからないけど黒い画面に向き合って、やたらインデントの入った画面を見て感動した記憶があります。

せっかくこんな環境にいるんだし!と思ったものの、プログラミングって何から手をつければよいか分からず、アマゾンで評価の良かったPHPの学習書を買いました。というもののまだまだ何のことか分からず…ドットインストールがわかりやすいと聞けばビデオをちまちま見て、Progateというサイトを知ってポチポチ作業をするも、結局何がしたいのか分からず、結局ちょっとかじって放置をしてしまいました。

とはいえ分からないのが悔しくて、あと自分は地頭はあるはずなので無理やり頑張ればプログラミングくらいできるのでは、と思ったりして迎えました就職活動。IT系の会社で働けば身につくのでは、と思い無事に内定が出た会社は3ヶ月のプログラミング研修から社会人スタートという環境でした。有り難いことに無理やりプログラミングをする場を与えられました。

するとハマることハマること。システムとはすなわち世の中の現象をコードで作るということなので、今までもやっとしていた説明がコードでパキパキ分けて説明でいる快感に。とはいえ、思考のタイプ的にプログラマーは向いていないと思うようになり、逆に「システムでできることを説明できるようになろう」という新しいステップに移りました。

ここ1年でいろいろと頭の中がクリアに見えるようになってきたのは、自分について考える時間が増えたことはもちろん、プログラミングの考え方を知ってプロセスを分けることができるようになったことも原因としてあるように思います。

UXデザインの部署に配属される

そんなプログラミング研修を終えて配属されたのは、UXデザインという、Webサイト・アプリの向こうにいる人のために、サイトやアプリを使いやすくすることを目指す部署でした。そこでいまぶつかっている壁があり、どうやって越えられるのか最近悶々と考えていたのですが、最近ちょっと分かってきたな!というのが言いたいことです。

というのも、デザインを決めるためには、図面として現れる内容を言語化して伝えることが必須なのです。もやっと「こんな感じ」というイメージを描いて伝えても、何を表現したくてそうなっているのか分かってもらえない。ボタン1個を追加したいだけなのに、隙間に適当に置いたら何故か「ありえない」と言われる(一ヶ月前の私)。意味わかんなすぎて、「意味わかんない!」と思っていたのですが、この感覚何かに似ているな〜と思って思い出したのが、先の中国旅行のことでした。

結局、その場に存在しているものが何であるか認知できていない(=言語をノイズとしか認識していない)というのが苦しさだったように思います。人間は自分が分かるだけしか他人を理解できないので、自分が作りたいイメージのポイントを理解できない分他人にも伝えられないし分かってもらえない、そしてまた逆も然り。

とはいえ、プログラミング言語も言語の一つなように、デザインの言語も言語の一つだと思っています。ちょっと違う点をあげるとすれば、今まで無意識にわかっているつもりだったことが、実は分かっていないと認める努力が必要なところ。あと、学習体系がまとまっておらず(私が知らないだけかも)、どういうステップを踏むべきか道を歩みかねているところ。

きっと、今まで勉強してきた色んな言語と同じように、デザインが分かるようになったら世の中がもっとクリアに見えるはず。そんなことを思ったら、すごくデザインを勉強したくなってきました。

 

そんなことを思った早帰りの平日でした。今日は温かいミルクティーを飲んで寝ます。