おいしさはやさしさ

社会人になりました

社会人2年目になりました

 ついに4月ですね。今までは「学生」として4月を迎えることが多かったので、新しい1年が始まる高揚感を4月1日には感じていました。が、今年はなんとなくプレッシャーというか、文言化してしまうと「新人期間終わるからちゃんとできるようにならなきゃ」という気持ち。年度が変わっても大きく部署異動はなく同じチームで仕事をすることになるので、気持ちとしてはプレッシャー感がメイン。

振り返ると、この、見えないプレッシャーを感じることが多かった1年のように思います。「この仕事をしなきゃいけない」「仕事が時間内に終わらない」「仕事のクオリティが低い」という辛さ。その辛さ、朝に布団の中で悶々と考え、出社時間のタイムリミットがせまり気合で起きて会社に行く。その現象はまあ一旦置いておいて。ただ、「できないことがある」ことにどうしてこんなにストレスを感じるのか。ふと考えた時、私のなかにあるのは「他人に失望されたくない」という思いのようです。ただこの思いについて、その先に「信頼を得て◯◯したい」は特になくて、一旦今をしのぎたい、周りに波風立てたくない、というのがメインになっている。ここがつらさであるように思います。昔、内定者時代に社員にした質問があって、「たぶんめっちゃ仕事が辛い時ってあると思うんですが、そのときに頑張れるのってどうしてですか」というもの。そのときの回答は、「これだけ見てくれている人たちがいるのに、その人達を裏切れない」という思い、とのことでした。そのパワーの源泉は私にないな、と話を聞いて思ったし、それは多分、今まで私の人生が自分のなかだけで閉じていたからなんじゃないか。と、思いました。

 1年前にも似たようなことを書いていたなあ。

puch0o.hatenablog.com

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そんな社会人ラスト、今週1週間は踏ん張りどころだったので、気力と体力の限り踏ん張った。とりあえず無事に終わって、体調も崩さなくてよかった。正直自分との戦い感がすごくて、結構割にしんどかった。自分でいっぱいいっぱいになりがちだったけど、周りの人たちにも協力してもらって、なんだか「このチームの人たちと仕事できてよかったな」と思う機会でした。すくすくと成長させていただいた。仕事面で1年振り返って、知識が増えて分かるようになったこと・スキルアップしてできるようになったこと・文化に慣れて過ごしやすくなったこと、それぞれあります。個人面では、今まで見えていなかった自分の姿・課題っぽいところ、が見えてきた。東京に出てきて、ひとり暮らしをして、いろいろ経験したけど、次年度はもうちょっと刺激のバリエーションを増やしたい気持ち。身体も心も元気に過ごしたいです。

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今日は、そんな突っ張った精神状態を解放するべく、あと天気も悪かったので、映画を見に行きました。

asa10.eiga.com

ライフ・イズ・ビューティフル」を見た。一度見たことがあったので、大まかな話は知っていたけれど、それでもだいぶ忘れていた。(最近気がついたのだけど、今まで映画など記憶するときに、感情じゃなく描写ばかりを記憶していたので、細かいセリフとか雰囲気をあまり覚えていないらしい)イメージのなかでは非常に心揺さぶられるシーンのある話だったけど、実際見てみると、ひとつひとつのエピソードの連なりで(もちろんただのエピソードでもないんだけど)、なんだこんな話だったっけ?と思った最後の5分で急に涙が出てきてびっくりした。人生をどう捉えるか、自分の周りの人とどう生きていくか、は自分次第なんだろう。せっかく生きるなら、ユーモアを持ってこの人生を生きたいと思う。なんて。

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急にフィッシュアンドチップスが食べたくなり、一人でバーに行ってビールと読書。 

読みまして。

わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座 (ちくま新書)

わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座 (ちくま新書)

 

 わたしたちがいきているこの社会は、自分がだれであるか自分で証明しなければならない社会である。(P93)

自分の存在とは、というのが最近ずっとテーマらしい。このあたりの文章が気になった。

何にでもなれるということは、あらかじめ何も決まっていないということ、決定的なものはないということであえる。裏を返して言えば、何にでもなれるというのは、自分がしたいことが見えないかぎり、何にもなれないということでもある。(P94)

 そうなんだよな。1年目終わっても、何がしたいか自分で見えなくて、でも自分がちょっと分かるようになって。気長に健康にいたい、というまとめです。

ごきげんよう

今日も今日とて

すごい勢いで3月が終わっていきます。春を感じて、風邪引いて、関西かえって、弟が居候して、家族が来て、仕事に追われてたらもうこんな日だ。って、振り返るとたしかにいろんなことしてるんだなあ。

よみまして。

http://realdgame.jp/news/2017/03/reald-party-0322.html

わかるなあこの気持ち、と思った。自分が好きなものが否定されるのが怖くて、あんまり好きな物を好きっていえない。何を思ってるか伝える、っていうのは、自分の意思を表明して他人にそれを判断されることなんだな、と無意識に思っている。だから、何かの好き嫌いを伝えるのは難しいし、そもそも何かを好きだと気がつかないようにしている。のだろう。

今日、同期と話していて思ったけど、わたしは自分より上の人に対して、文句を言ったり理不尽なこと言われてそれに怒る、ってことが少ないらしい。どうしても、その言葉を発した上の人について、背景を考えて正当化してしまう。あまりに自然にそれをしているから気がつかなかったけれど、これも何かの自己防衛なんだろうな。ぎこちない日々だなあ。

などなど。まだ火曜だったんですね。ごきげんよう

山を乗り越えれば力がつくのか

まだ冬なんじゃないか、と思うくらい毎日寒いですね。そんな日なので、スピッツの春の歌を聞いていました。12年も前の曲なんですね。リリース時から知ってる曲ながら、いつ聞いても名曲です。歌詞の瑞々しさが良い。

月曜なのに、今までの自分がほったらかした残作業に追われてつらくてつらいけど頑張る。山を越えたら人は強くなるはずきっと。(っていいきかせてるけどそんなことないよなーということは自分が一番知っている)(けど暗示です)(来週の土日はきっとこのつらい色々から抜け出せてる)がんばろう。ごきげんよう

セルフ過去記事解説「自分リストラをしています」

気がつけば3月ももう終わりです。風邪を引いたり、実家に帰ったり、家に人が来たり、とせわしない日々が続きました。この土日は、掃除をしたり洗濯機を回したり、人と外出したりまったりコーヒーを飲んだり(ときどき仕事したり)、すごく久しぶりに週末らしい日を過ごしました。精神的にも肉体的にもつらかった日々からようやく一旦抜け出せるような気がします。やらねばならぬ業務があり、休日まで持ち越してしまってつらいのですが、久しぶりに自分に向き合い続けた一日でした。

そんなお仕事をしながら、周りに言われた言葉が「何か出来事に出会ったときに、それに対してあなたがどう思ったのか、感情の記述がないからうまく共感できない」とのことでした。確かに、わたしの書く文章にはいまいち感情がない。書いているときは何も思わないけれど、あとから見直して「なんだかスカスカしている」ように思えたり、「で?」と思うことが多い。ということで、過去の記事を見ながら自分の思いを負荷ぼる、というのをやってみようと思う。 

 

読みまして。

puch0o.hatenablog.com

結局、自分の再構築って何なんだ???という不思議な感想を持ちました。感情がないから、自分リストラ=再構築に取り組みたい。「メンヘラが〜」の本を読んで感銘を受けた。「何者」がなんでここに紹介された?最後、なぜ引きこもる???

自分が書いた文章なのに何が言いたいのか全然分からなくて面白いので、敢えて解説をしてみます。見出しはそのまま使います。

 

最近思っていること

会社で働きはじめて半年、部署に配属されて3ヶ月。周りの人に恵まれている、とは胸を張って言えるけど、仕事が楽しいか、と問われると回答に詰まってしまう。理由はよく分からないけれど、たまにすごく会社に行きたくなくなる日がある。どんな日に、どういう時期に、というのはまだわからないし、どうして「会社に行きたくない」と思うのか、まだうまく言語化できていないけれど、そういう日がある。周りに嫌いな人がいるわけではないのに、どうして会社に行きたくない日があるのか、原因を考えるうちに、自分に向き合う必要性を感じはじめました。

再構築

前々から思っていたものの、私は自分が感じている感情をあまり認識できていないらしい。だから、感情をうまく言語化できないままに、会社に行きたくないと思ってしまうのだろう。自分だけでなく、周りにも「感情がわかりにくい」と思われているらしく、先日は同期に「感性がゾンビ」と言われてしまった。なかなかショッキングな表現ではあるものの、表現が的確過ぎて、言われた側なのになんだか納得してしまった。もちろんショックだとは思っています。

自分の感情がよくわからないことに対して、なんとも不安な感覚はある。それに、せっかくこれからも人と関わって生きていく以上、自分の感情が分かるように・伝えられるようになりたい。自分が周りの人みたいに感情を素直に出せないのには、何かきっかけがあるのでは?という感覚があるので、その出来事を突き止めたい。出来事を突き止めて、自分の感じている思いを人に素直に伝えられるようになりたいと思う。

最近読んだ本 

そんなことをうっすら思いながらAmazonをさまよっているときに、こんな本を見つけた。

 前からこの本の存在は知っていたものの、あまり親近感が持てずに読んでいなかった。Kindle版もあったのでサクッとポチって読んでみたら、思ったより話に共感できることが多く、あっという間に読み切ってしまった。

ざっくりあらすじを説明すると、今までエリート路線を突き進んできた筆者が就活中にパニック障害を起こし、休学の道を選び、休学中の出来事をきっかけに過去と向き合い、その後の人生を楽しんでいる、という話だった。就活まで順風満帆だったように思っていた人生は、ふと立ち止まって振り返ってみると、たくさん引っかかりポイントがあったとのこと。母親や祖母とうまくいっていない過去があったということ。などなど。

他人事だと思うと「すごいなあ」で読み流せるだろうけど、私はこの話で自分を重ねてしまうところが多く、すんなり読むことができなかった。私自身も、就活をきっかけに人生の足踏みをしたし、その間に自分の過去を振り返り、思い違い(というより、無理に自分の人生を良いように解釈していたこと)に気づいた。家族と常にうまくやってきたように思っていたけれど、冷静に考えると見て見ぬふりをしてきた出来事も多かった。そして、自分が周りからどう思われるかばかり気にしていて、自分が自分の人生を歩めていないことに気がついた。

 

何者 (新潮文庫)

何者 (新潮文庫)

 

 就活というと、「何者」をどうしても思い出してしまう。彼らもまた、人の目を気にして日々を過ごしているように私には思える。し、私自身もまだまだ人の目は気になる。この話に出てくる6人も、人に振り回されず自分の人生を生きるために、「メンヘラ〜」を読んでほしい、と思った。

結論

自分の感情を知るためには、自分に向き合うことが大切だと思っており、最近ずっと土日は一人で考え事をしています。あんまり元気がないことも多いかもしれませんが、こういうことですので、ゆっくり話を聞いてくれるとうれしいです。

 

 

・・・ということを思っていたような記憶がある。当時より冷静に説明はできるものの、まだまだ自分の感情は未だに分からない。わからないし、全てを文言化する必要はそこまでないんじゃないかな・・・という感覚もしてきた。ただ、好き嫌いは明確な方が自分も周りもわかりやすい。自分から相手に伝えられると、「わかってちゃん」を卒業できるし、なにより自分で自分を大切にすることができる。相変わらずとりとめもないことばかり考えていますが、こんな感覚すら久しぶりな3月最後の日曜日でした。

年度末も乗り切りましょう。ごきげんよう

 

 

帰ることのできる場所

三連休、つかの間の帰省を終え帰りの新幹線に乗っています。

あんまり深くも計画もなく、突然帰ったけど、生きづらさから解放されて非常に良かった。里心とかじゃないように思うけど、こうやって帰る場所があるのは贅沢だな、って思った3日間だった。

実に当たり前のことなんだけど、他人はその人の人生を生きていて、そこでは他人となる自分について、知ってもらうのって簡単じゃないし、自分も逆に他人の人生を知るのって難しいなって思う。何を今更、って思われることは承知だけど、そんな他人と分かり合うのって大変。そもそも分かるのか、という話。わたしが最近感じていた生きづらさって、そのあたりにあるのかもしれないな。と考えるなどする最近です。

そんなことを思いながら、久しぶりに小説を読んでいる。人生あと50年くらいしたらどうせ終わるんだけど、その50年を生きるのがまあ大変なんだよな…という気持ち。

https://www.amazon.co.jp/dp/B00LWZUCLO/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

ごきげんよう

居場所にはまるように最適化

三連休なので実家に帰ってきています。言いたいことを言わないでも察してもらえるし、何もしなくてもみんなが役割を果たしているし、居心地がよいなあと思う反面、この環境だから自分をアピールする必要もなかったんだなあ、という気がします。居場所に合わせた最適化。東京にいる間は視座を高めようと頑張ってるけど、関西に帰ってきたらだらけちゃう。無理してるのかもねどこかで。という気分です。ごきげんよう

居場所探し

あっという間に木曜日ですね。風邪を引いて最近死ぬほど大変だったなあ…と遠い日の記憶のように思っていたのですが、どうやら体調崩したのはちょうど先週だったようです。時間間隔が伸びたり縮んだりしていてえげつない。体調が戻りつつあるので、また身体に負荷をかけつつ働く日々を過ごしているのですが、なんだかしっくりこない。

ddnavi.com

読みまして。「この世界の片隅に」を見に行ったのは去年の年末だったのだけど、私がこの映画から読み取ったメッセージは「あなたの居場所は、どこですか」だった。もちろんこの記事の中で監督が話しているように、戦争によって変わっていく日々、その日々を過ごすうちに、家を守るというかたちで戦争に加担することとなった市井の人たち、というのも十分テーマだとは思う。けど、一人暮らしして、自分を無条件に守ってくれる存在なしで生きる今、私にとって「居場所」というのはすごく大きなテーマとなっている。小さなころにすれ違った人が自分を探して求婚してくれることもなく、毎日家事をしながら誰かを支えることもなく。会社は部活と違うから、無条件に受け入れることを願ってはならないのだろうな、なんて強がりながら、私の居場所は?と疑問に思う日々。周りで仕事をしている人が、自分のやりたいことをどんどん仕事にしているのを見ながらすごいな、って思うけど、果たして自分がそれをやりたいようには何だか思えないし、だからといって他に私ができることがあるようにも何だか思えないし。ああ、いっそ何かの職人になって住み込みで働きたくなるような、なんだかしょぼくれる日々である。でも明日は金曜日だから、花金にするぞ〜、という気持ち。ごきげんよう