東京の大学生は、インターンとかミートアップとかいろんな機会があっていいなと思うけど、それじゃあ私の今までの3年間はなんだったんだ、っていう話。自分のなかでは私の3年は、東京では得られない何かを得たと思いたいけれどそれがうまく言葉にできない。
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でも言葉にできないうちは、東京での学生生活>地方での学生生活、という図式が成り立ってしまうので、これだと地方から若者が流出するのを止められる訳がない
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なんとなく、「無駄がないと人生厚みが出ない」とかいうキレイな言葉でおさめたくなるけれど、それじゃなんの解決にもならない気がする。もっとなんというか、落とし込まないと言葉に説得力を持たせられない
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なんとなく解決策的なものとしては、有利不利とかっていう考え方の判断軸とか座標を明確することなのかなー。ビジネス的な面では、地方都市は絶対東京に勝てる訳がない。
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このギャップについて考えることが、なんとなくこの1年で出て来た新たな命題のような気がする。そしてこの何かを見つけない限り、地方で大学生活を送ることを安易に人にすすめられないな
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全然解決にならないけど、ちょっと腑に落ちてきた。意味のないものに意味を与えようとする限り、意味のないものを認められないということに変わらないわけだ。意味のないことに意味がある、という方向でなければならないのだ
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まるで、ロジック派は感情派より優れていることをロジックで説明できるけど、感情派はロジック派より優れていることを感情では説明できない話を思い出すね。そんなわたしは感情を大事にできる人になりたい
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いろいろもやもや考えたけど、結局は目の前のことをどれだけ大切にして、どこまで深く考えられるか、というところに収束する気がする。というのが今日のところの結論
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Evernote見返したら出てきた覚書。