おいしさはやさしさ

旅行の日記とか独り言です

最近のあれこれ

ここしばらく仕事が忙しくてほぼ記憶がない…

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紫陽花の季節


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うどん旅行にいった


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その翌週は餃子フードファイトをした


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ソニーノイズキャンセリング機能付きヘッドホンを買った


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デカトロンで折りたたみバックパックを買った


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大塚国際美術館にいった

 

暖かくなった途端に外出や人と会う予定を詰め込んでるので、季節によるテンションの差がすごい。2018〜2019の冬の間に出かけた回数と、5月の1ヶ月で出かけた回数がトントンなんじゃないかというレベル…ちなみに例年6月に一度は体調を崩すのですが(いつも健康診断の期間にかぶる)今年も例に漏れず扁桃腺がかなり痛くなって、今日も喉が爆発しそうです。そんなこんなで、ごきげんよう

「エクソフォニー」を読んだ

社会人になってから、学生の頃は読まなかった本を読むようになった。多和田葉子の本もその一つで、今まではただ好奇心で触れていた外国語や、それを軸にした日本語を見つめることが、忙しない暮らしをしていた学生の頃よりも自然にできるようになってきた今だからこそ読めるように思う。

あえてゴールデンウィークを外して週末海外旅行に行き、その間ちょこちょこと「エクソフォニー」を読んでいた。私は職業柄日本語以外の言語を使うことは少ないので、日頃暮らす分には外国語を意識することがない。せっかく日本語の通じない世界に行くからこそ実感を持ちながら読み進められた本だった。

今回、いつもの旅行と違うのは「現地語を話せる友人と旅行をした」ことだった。英語で現地の人と話せる国ならともかく、今回の旅行先は中国だったので、何度行っても「トイレはどこですか」と数字レベルしか発言ができず、つまり相手が何を言っているのかも聞き取れない、という記憶が多かったけれど、今回はいつもと全然違う中国が見られてとても興味深かった。(もちろん友人が知らない人とのコミュニケーションを積極的にとっていくタイプだ、ということは言語の壁以上にあるとは思う)

朝ごはんを屋台で買ったら、屋台のおばちゃんが「どっから来たの」と話しかけてくれたり(友人の中国語の発音がよいらしく、「人生勉強だわ〜」と返されていた)、中国人ばかりの現地ツアーに参加したら「福建省はお茶で有名で、英語のteaは茶が由来なんだよ」と説明してくれたり、スーパーのレジのおばちゃんも突然世間話をしてきたり、言葉の壁を越えるだけで中国人はとてもフレンドリーだった。いつも必要最低限の会話しかできなかったので中国の人は冷たいと思っていたけれど、そりゃ言葉が通じなければそうなるよね。日本人は言葉が通じなくても表情で敵意がないことを示すけれど、それがないから勝手に冷たい印象を持っていたのかもしれない。

そんなことを思いながら帰ってきたけれど、東京にも中国語を話しながら暮らしている人はたくさんいるわけで、なんだか帰ってきたのかそうでないのか不思議な気持ちになりながら帰国後の日々を暮らしています。ごきげんよう

 

「君がいない夜のごはん」を読んだ

一時期、穂村弘のエッセイにだだハマりして以来、エッセイ集が出るたび欠かさず読んでいます。今回はふらっと入った本屋で見慣れぬタイトルの本を見かけ、2月に出ていた最新作に気づいていなかった自分にショックを受けつつ本を買いました。

布団の上で菓子パンを食べてしまうだらしなさも、自分の味覚に自信を持てない気持ちも「わかる〜!」と思いながら読んでいました(さすがに布団が汚くなるのが嫌なので、菓子パンは布団の外で食べますが)。

わたしの持論ですが、感情が豊かな人は食べ物の好き嫌いもはっきりしているように思います。感情が希薄な私は、あまり食べられないものがありません。ただ「苦手な食べ物」があり、しいたけのバター炒めとスモークサーモンがそれにあたります。

「食べ物の好き嫌いはよくない」という小学校での教育が功を成したのか、最近になるまで自分は食べ物の好き嫌いがないと思っていました。それこそ腐っていないものであればだいたいは食べられます。そんなある日、「食べられはするが息を止めて食べている」食べ物があることに気がつきました。それがしいたけのバター炒めです。一言でいうと「においにクセがありすぎる」。しいたけ自体は鍋に入っていたり天ぷらとして出てくるものも抵抗なく食べられます。バター炒めも、他のキノコやほうれん草を炒めたものなら美味しいくらいです。だけどこの組み合わせはNG。周りの人にこの話をしてもあまり共感が得られないので、やはりこれは「苦手な食べ物」に違いありません。

自分にも「苦手な食べ物がある」と自覚してから約5年、新たに苦手な食べ物を見つけてしまいました。それがスモークサーモン。NYで間違えて巨大なサーモン&チーズ入りベーグルを選んでしまい、陰鬱な気持ちで食べきった記憶が薄まらない頃、友人と海外旅行に行きました。最後の夜に海鮮レストランに入り、お互い好きなメニューを選んだところ、友人のチョイスはスモークサーモン。お互いシェアしながら食べていたのですが、わたしがスモークサーモンにあまり手をつけていないのを見て友人がもっと食べるよう勧めてくれました。そこで初めて「あえてこのメニューを食べたい人がいるのだ」ということに気がつき、逆に自分はスモークサーモンが苦手といえることを意識しました。「そんなに好きじゃないから残り食べていいよ」と言ったら「それなら頼むときに言って」と返され、まあ確かに逆の立場ならそう言うなと。それ以降、何人か周りの人にスモークサーモンについて聞いてみましたが、やはりあえて頼むメニューらしいですね。自分の苦手な食べ物が分かって良かったです。

苦手なものをそれと意識してしまうと、なんだか人生の可能性を狭めてしまうようでもったいない、という気持ちがあったのですが、20代も後半になり、「苦手なものを自覚して、それに遭遇しないようコントロールするのは人生を謳歌するための一つの手段である」と思えるようになりました。まだ気付けていない「好き嫌い」がある気がするので、今度はそれにどう気付けるのか楽しみです。ごきげんよう

ダイソーで包丁研ぎを買った

我が家の包丁は実家で母が使っていたものを譲り受けたのだけど、その後数年私が使う間に扱いが悪いのかトマトが全く切れなくなってしまった。切れるは切れるけど、力づくで押しつぶしているような形になってしまった。これから夏も本番だというのに、トマトが切れないんじゃまともにご飯も食べられない。ということでダイソーで包丁研ぎを買った。吸盤で台に貼り付けられるものもあったけど、今後吸盤が弱ってくる日が来ると推測して、ただの滑り止めつきのものを買った。研ぎ石も売られていて、使い方がわかるならこれもありかもしれないと思ったけど、一度も触ったことがないのでやめた。さっそく家に帰って包丁を研いでみたら、そのあと漬物がサクサク切れた。石と石の間に刃を挟んで7回ほどひっぱるというそれだけで、この数年来のもどかしさが解消するとは…まだまだ人生面白そうな気がするそんな今日この頃です。ごきげんよう

香港エクスプレスで性別を誤って予約した

先日、香港経由で旅行したときに香港エクスプレスを利用しました。タイトルの通り性別を誤って予約したときの顛末をメモ。

結論

香港エクスプレスで性別を誤って予約した場合、出発日でも電話で予約内容の変更ができた(無料)

詳細

香港エクスプレスのセールで「往復取れば帰りが安くなる」チケットを購入。オンラインチェックインの連絡が出発24時間前に届き、チェックインしようと情報を確認したら性別を誤って予約していることに気がつきました。このとき夜1時前くらい。「変更があれば48時間前まで」というメールを数日前に受け取っていたので血の気が引きました。

ネットでいろいろ検索してみたら、航空会社によりまちまちのようだが「香港エクスプレスでは電話で性別の変更ができた」という情報があったので、コールセンターの番号と営業時間を調べて就寝。

朝9時からコールセンターが開くようだったので、9時半ごろに電話しました。意外とすんなりつながり、性別変更について確認したところオペレーターの方に「変更は可能です。ただし1回まで」と説明いただき、変更対応をしてもらえました。変更完了後、登録しているメールアドレスに再度メールが届き、確認すると変更後の性別に情報がアップデートされていました。オペレーターの方は少し日本語の発音が片言でしたが、一般的な会話内容をすんなり聞き取っていただけたので安心しました。

その後空港に行った後も特にトラブルなく、無事に往復できました。めでたしめでたし。

最後に

私と同じように誤って予約して血の気が引いた人のために記事を書きました。ちなみに先日ハワイアン航空で姓名逆に予約して当日にミスに気づいたときは、返金&再度チケット購入になりました(返金手数料3万円、チケットの値段は購入時と変わらずだったので、実質3万円負担で済んだ)。せっかくの旅行、ただでさえ慌ただしい出発前にドキドキしなくて済むよう、今後は注意してチケット購入したいです。

このご時世、パスポートの写真アップで情報自動入力してくれたら嬉しいのに…と思いつつ。そんなこんなです。ごきげんよう

「餃子ロード」を読んだ

突然ですが、わたしは餃子が好きです。単品で主食・主菜・おつまみ全ての役割をこなせてすごい。そんな餃子はわたしが暮らす日本、発祥の国中国、それからロシアしまいには東欧?まで存在する食べ物だと言う話を聞きました。そしてそれをまとめた本があると知り、読んだのがこの本です。

実際の中身は、だいたいが作者の思い出に基づく随筆で、餃子について論じたものとは異なっています。大連育ちの作者のセンセーショナルな中国での思い出は、私が物心ついてから把握している中国よりもキリキリとした雰囲気を感じさせます。今より比較的安全だった中央アジア、そこに足を運んだ筆者の思い出は、数々の戦争を経て再現不可能な姿なのでしょう。

ここからは私のただの感想なのですが、この本が発行されている1990年頃の本は少し私の好む経路とは違う描写が多いなと思うところがあり…戦後の無骨な感覚を少し残したというかなんというか、むさ苦しい男の冒険譚という印象を受けました。実際、いまのつるつるした時代とはことなる埃っぽい空気を彼らは吸って暮らしていたのでしょうが、なかなか入り込めず、少し消化不良な感覚もあります。

ただ餃子が世界中で食べられていると言う事、それも貧しい地域から豪華なホテルでまで、様々な人の暮らしを支えていると言うのは、普段食べている餃子から世界が広がる気持ちがして面白いですね。本の最後にある水餃子の作り方がおいしい、とどこかで見かけたことがあるのでいつか試したいと思う気持ちの一方、餃子を一人暮らしで作る大変さを思うと実際に作ってみる日は少し先になる気がします…いつか作る日を夢見て、ごきげんよう

最近登山に凝っている

座りっぱなし系職種のため、めっきり運動不足になりこのままでは健康すら危ぶまれてきたので、登山を趣味にすることにしました。

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ただ、全く今まで登山をしたことがないわけではなく、中高生の頃に学校行事として夏山登山というものがあり、2回ほど山には登ったことがありました。その後家族で富士山に登ったこともあり、実は道具も一通り揃えてあるのでした。とはいえ、完全になまった身体をまずは慣らすことにし、低い山ばかり登っています。

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登山を趣味にすることにしてから、今まで知らなかった情報に触れたり、アンテナの角度が変わってきた感覚があって面白い。普段はネットの民なので、ツイッターなどでフォローしている人たちの情報しか目に入れていないのですが、登山についてインターネットの海を泳ぐのは初心者には難しすぎて、久しぶりに雑誌を読みまくったりしています。楽天マガジンに契約しているので、山と渓谷社の雑誌たちを一通り眺め、それらをもとに知りたいことについてインターネットで追加の情報を得る、ということをしています。まるで、雑誌の編集者というキュレーターが集めてくれた情報を幹として、それに自分の好きな枝葉を伸ばしていく感覚です。初心者向けのガイド本を読んでもいいんだろうけど、雑誌のリアルタイム性(季節ごとの特集とか最新グッズの紹介)や、幅広さは雑誌の方がまさるなあと思います。

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そして、それらの情報を眺めながら思うのは、人生まだまだ自分が知らないことがたくさんあるということ。旅行はある程度自分の中で軸が定まってきて、情報に対する取捨選択方法が分かっていたり、自分がその場で受け取るであろう感覚がだんだん予測できるようになってしまっているのですが(これはきっとある種の慣れ)山については全くそんな感覚がない。そもそもまだ歩き切るのに必死で、景色の変化や山ごとの違いを楽しむレベルにたどり着いていません。でも、だからこそ山を意識して普段から階段を使うようになっていく自分とか、徐々に季節が変わっていくのをふと見上げた空の色で感じるとか、こういうことを「意識している」のは初心者ならではの楽しみ方なのではないか、慣れると分からなくなる新鮮な気持ちなのではないか、と自分の感覚すら愛おしくなります。

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山と旅行は似ているな、と思うことが多々あります。言語や気候、体力といった普段意識しない生活の根本レベルが脅かされること、「なんでこんなところに来ちゃったんだろう…」と半分くらいは思ってしまう道中、それでもその辛さを経て普段見れない景色にたどり着いたときの達成感、そして懲りずに出かけてまた辛い思いをするところ。「軽くて高機能」な道具が有難いこと、何が出るかわからない普段食べないご飯を有難がって食べられて、しかもそれが時々とっても美味しいこと。一方、旅行は現地の人と出会うなど「外」の世界を知ることができます。登山は、人が住まないところだからこそ得られる景色があります。それぞれもっと共通項と相違点があるんだろうけど、数回山に登っただけでこんなにいろんなことを考えられるのもまた面白い。

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一人でも旅行や登山に行けるのはスマホという文明の利器のおかげだということを忘れないようにしつつ。自分の身を守るために油断しないことも言い聞かせつつ。このあとしばらく登山を趣味として楽しんでみたいなぁと思う今日この頃です。ごきげんよう