おいしさはやさしさ

旅行の日記とか独り言です

このままどこか遠く連れてってくれないか

日曜日よりの使者は私には来ないのであった…

この週末は久しぶりにほぼ予定を入れずマイペースに過ごしたのであった。久しぶりに一人で登山しようかな〜とも思ったけど、1日寝て、もう一日で部屋の片付けしたら土日が終わった。

今週は、抵抗感の高い仕事をしたせいか、先輩の命日が重なったせいかめちゃくちゃ心の調子が悪かった。寝ても寝た気がしないし、夜も暑さに耐えかねて冷房つけっぱなしだし、身体がボロボロである。胃は痛いし、その結果か軽い吐き気はするし、心の調子が悪くてご飯食べるのをサボったら頭は痛くなるし、どことはいわず調子が悪かった。土曜日は夕方までまどろんで過ごし、涼しくなった頃に車で出かけてリフレッシュした。日曜日の今日はやたら早起きしてしまい、今週の運動不足を取り返すべくシッカリ散歩をした。そのあとは、目を通そうと思って放ったらかしになっていた資料を読んだり、近々退職する会社の先輩と技術の話をしたりした。近々退職する先輩は、わたしの入社直後に苦楽を共にしたので、また一人馴染みの人が会社を去ってしまうのは少し寂しい。最近は部署が離れたのもありほぼ喋る機会なかったけど、懐かしい話とかこれからの話とかしていい刺激だった。わたしも来年あんな感じで晴れ晴れしていたい。

日曜日最後の予定は整体だったので、今日もバキバキになった背中をほぐしてもらったのであった。GWからそれなりの頻度で通ってきて、割と改善してきてますよと言われ(お世辞かもしれないが)うれしい。相変わらず肩甲骨の後ろがカチカチで大変だった。筋肉が固まるって面白い事象だな…!最近胃の調子が悪いことを相談したら、よくある原因は3つ、①水分不足(仕事のストレスで水飲みまくってるので多分ない)②冷え(毎晩冷房かけて寝てるのでありそう)③ストレス(大いにあり得る)とのことでドンピシャだった。この1年半くらい、断続的に胃が痛いんだけど8割仕事のストレスなんだよな…。対策も教えてもらったけど①ヨーグルトを食べる(最近毎日食べてる)②湯船に浸かる(毎日浸かってる)とのことで、為す術なしか🤔とりあえずストレス要因取り除きたい気持ちがヒシヒシ。他愛もない話をしながら、半分寝ながら施術を終えて軽い肩で帰った。いつか背中がガチガチにならない日が来るのだろうか。コロナ禍でオフラインの会話が少ないなか、整体師の方々が一番頻繁に顔を合わせる存在になりつつある…

帰り道、本屋に寄りたくて遠回りしたんだけど、ちょっと遅かったせいでお店が閉まってしまった。なのでただぼんやり歩いて帰宅。

最近、わたしは一人でいるのを好む人間だと思ってたけど、会いたい人には連絡するし、たぶん普通の人よりも「知り合いの存在がきっかけ」として、旅行に出かけることが多い。純粋な旅行ももちろん行ったことがあるけれど、当地の友人や知り合いを訪ねて出かけることのほうが多いかもしれない。(マレーシアで出会った台湾人の友人に会いに台湾に行き、そこで知り合った友人の妹に2回目の台湾も案内してもらい、同じくマレーシアで知り合った香港人の友人に香港で会い、マレーシアのあとに一人で行ったシンガポールで出会った日本人の友人には東京でもバルセロナでも会っている。ルワンダにいたときも、日本人の方に紹介いただいた教授に会いに第2の都市に行ったり、現地で知り合った韓国人の教授を訪ねてハイキングに出かけた。フィリピンで知り合った日本人の友人に会いに沖縄に行き、そこで出会った友人の彼氏(当時)と遊んでもらうために沖縄を再訪した。同じくフィリピンで出会った別の知人の結婚式に参列するために名古屋に行き、そのあと大学時代の知人のホームパーティーに行った。初めて行った札幌は中高時代の先輩を訪ねて行ったし、ヨルダンに行ったときもairbnbであえて現地の人との関わりを求めに行ったな。ドーハの空港でTwitter投稿してたら、たまたま同時刻に同じ空港にいた大学の後輩に会ったり、サンフランシスコで大学の後輩に会ったり、ニューヨークにいたときも同じ感じで中高の先輩と飲みに行ったこともある)近々、また大学時代の知人に会うべく出かける予定があるので、ふとそんなことを思い出していた。普通、旅行といえば現地の景色や食べ物を楽しむはずで、わたしがする旅行の半分もそういう趣旨だけど、そうでない旅行が多いのもわたしの特性なのかもしれない。仲良くなりたい人には割と積極的に連絡を取るなぁ。あまり他人に対して好き嫌いないつもりで今まで生きてきたけど、思い返すと定期的に会う友人の数ってあまり多くない。自分の中の「仲良くなりたい」センサーが働いているんだと気がついた。

あと、会える人に会うチャンスを逃したくない気持ちは結構ある。いつかあれしようね、また会いましょうね、と言いながら、二度とその話が叶わなくなってしまった経験があるから、会いたい人には会えるときに会う、というスタンスが身についたのかもしれない。人生長いけど短い。裁判の傍聴一緒に行っとけばよかったし(なぜ私を誘った)、高知の美味しいカツオを食べに早く遊びに行けばよかったなと思うし、これからそんな経験がまた増えてしまうのかなと思うと、生き続けるのがちょっと怖くなる。胃が痛いのだって、先輩が急にいなくなってしまってから、きっとその不在を受け入れる余裕がなくて8月いっぱい胃腸の調子が悪かったのを再発してるんじゃないか。4年経ってもまだ消化できない気持ちがわだかまってるのも一因だと思う。あまりに急な知らせで、ただ現実を受け入れるのに必死で、でも受け入れられてなくて、ただ宙ぶらりんになってしまった気持ちを抱えて、いわゆる現実な日々、ただただ日々の仕事をこなしていたらそりゃ気持ちも消化できませんよ。自分で命を絶たれてしまうと、周りの人は「自分はその人にとって、現世を生き続けるほどの価値があるとみなされてなかったんだな」って思っちゃうのがしんどいな。当人はきっとそんな他人の気持ちを考慮できるほどの思考力はもう持ち合わせてないんだろうけど(そんな自体に陥ってしまってると思うだけで十分悲しいのだけど)周りの人が自分自身の存在意義をも疑ってしまうことになるのもめちゃくちゃキツイ。当人が抱える苦しさや痛みは、きっとそれ以上のものだというのもさらにキツイ。せめてあちらで健やかに暮らしていてもらえると嬉しいのですけれど。日々の気づきとかいろいろお喋りしたかったなぁ。なんて思いながら月曜日を迎えるべく、まだ気持ちはモヤモヤしてるけど、寝るぞ。