おいしさはやさしさ

旅行の日記とか独り言です

「想像のレッスン」を読んだ

高校2年生の夏休みの宿題で、鷲田清一の「待つということ」を読書感想文の対象として読んだ。今まで自分は本好きだと思っていたし、大抵の難しいことは分かるという自負があったのが、そんな自負は高2の夏休みに散ってしまった。日本語として一文一文は意味をなしている。けれど、それがまとまって段落になった瞬間、意味を持っていたはずの文章が霧散してしまい全く意味が分からなくなる。本好きも相まって、夏休み早々と読み始めたにも関わらず全然ページは進まず、結局読書感想文の提出期限には間に合わず、本の意味もわからないまま自分の今まで「待ち続ける」ことの経験だけを文章に殴り書きにして提出したのであった。

今思えば、きっと「待つ」ということに自分自身が向き合ったことがなかったし、自分が考えたことのないことを他人の文章からトレースすることは難しく(読書は自分の知っている常識を再確認する作業である、とTwitterで見かけたことがある)まだ考えの浅い高校生だったなーと思うのですが、そんなこともあり鷲田清一には若干の苦手意識を持っています。苦い思い出がある「待つということ」に、父親が何の優しさか講演会で本人のサインをもらってきてくれてしまったのもトラウマを助長している。ただ、高松に行って二泊三日目の最終日を一人でぼんやり過ごしながら、ピンと来た本屋で見つけたそのタイトルはなんだか飛行機で読むのに最適そうな本なのでした。

とこれだけ引っ張っておいて、やはり27歳の私にも半分くらい何を言っているか分からなかったよ。と10年前の私に教えてあげたい。本書は筆者が今まで見てきたアートや映画について、それらから考えたことのエッセイ集なのですが、すんなり頭に入ってくる部分とそうでない部分の差が大きい。具体的にいうと、言語や旅について書かれた文章はさらさら読めるし、こんな表現があるのかと手元に書き留めながら読み進めることができる。一方、演劇や現代美術の作品、それに映画について述べている内容は全然頭に入ってこない。共感できるできない、とかではなくそもそも頭に入ってこないでさら〜っと抜けていってしまう。10年前と同じ状態です。

 でも、ふと考えると、頭にすんなり入ってくるテーマは私が普段から興味があるテーマ、そうでない部分は日頃ほぼ触れることがないテーマなのです。旅行に行ったり、いろんな土地で話されている言語や文化・そこに根付く宗教について思いを馳せることは多く、一方で映画や演劇、現代アートは日々存在すら意識せず、世の中の話題になって初めて「どれどれ見てみよう」となるくらい腰が重いのです。ということで、本に書かれている内容云々ではなく自分自身が重視しているテーマをあぶり出してしまう本でした。半分くらいの章はあんまりよくわかんなかったけど、また興味が出たときに読むことにしよう…

この本の中で書き留めた箇所のうち、覚えておきたいなと思っているところを転記しておきます。

「 道草、あるいは目的地のないぶらぶら歩き、それをフランス語ではランドネという。英語のランダムと同じ語源の言葉、予測ができないという意味からきた言葉だ。旅と旅行の違いもそこにあるとおもう。トンネルを掘り、橋を渡した、目的地にまで最短の距離で進む「最適」の道よりも、山沿い、川沿いにくねくねうねりながら、ジグザグ折れ曲りながら進む気ままな道、そのなかで起こる予期しない出来事のなかに、じぶんひとりではとても紡ぎ出せないような別の人生の意味が浮かび上がるというわけなのだろう。」(P321)

 ちょうど私が最近はまっている登山でも、雑誌の名前に「ランドネ」というものがある。女子向けの山雑誌ではあるものの、タイトルにもそんな意味があるなんて、そしてそれが私の求めていることに近いなんて面白いな〜と思っています。

 秋めいてきたので登山も捗る8月下旬でございます。ごきげんよう