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「働くことの哲学」を読んだ

2019年GWは働くことについて考えるのがテーマです。

「働くことの哲学」ラース・スヴェンセン を読んで、2点ほど印象に残る箇所があったのでメモ。

働くことの哲学

働くことの哲学

 

 

欲求による消費と欲望による消費

「暇と退屈の倫理学」で「浪費」と「消費」の違いについて述べられていて印象的だった。と前回書いたのですが、その後しみじみ「これはただの言葉遊びなのでは…?」ということを考えていました。そんななかでこの本の中で述べられていた「欲求による消費と欲望による消費」という対比に出会い、こちらの方がしっくりくるなと思い印象に残りました。欲求による消費(例:食欲)は、欲求が満たされれば満足するが、欲望による消費は永遠に終わることがない。

この表現を見て、ふと、「千と千尋の神隠し」に出てくるカオナシのことを思い出しました。以下は私の個人的な解釈なのですが、カオナシは一見、「センホシイ、センヲダセ」と、千尋という「欲望」を満たそうとしています。その欲望はなかなか満たされず、砂金で周りの人々(?)の欲望を刺激し、自らも豪華な食べ物や接待にあやかり欲望に飲み込まれていく。でも求めている千尋はなかなか得られずただエスカレートしていく。結局映画のストーリーの中ではカオナシ千尋が欲しいという「欲望」ではなく、本質的に求めていた、寂しさを埋めたいという「欲求」に気づき、満足して銭婆のもとで暮らしていくことを決めたように見えます。ただ、もしカオナシ千尋を手に入れたとしても、それは「欲望」なので満たされず、また他に何か心を埋めてくれる何かを探し続けていたのではないか?とも思えてきます。カオナシが自分の「欲望」ではなく「欲求」に気がつけたきっかけは何なのか、泥団子以外になにかある気もするのですが今の私には分からず…なんだったのでしょうか?

ただ、私自身もカオナシと同じように、欲求と欲望が正しく見えなくなることが時々あります。「お腹は空いているが、何を食べたいかわからない」という状態がまさにそれだと思っています。本来私という生命を維持するために欲求するべきなのは「空腹を満たす」という欲求だけなのに、「食べたいものを食べたい」という欲望にすり替わることで、いつまでも食べたいものを決められず、欲求を満たすことができない。(しかもこういうときは結局何を食べても「うーんこれなのか?」と思ってしまう)実家に住んで家族がご飯を作ってくれていた頃は経験したことがなかったこの欲求と欲望が入り交ざった感情に、当初はよく惑わされていましたが、最近は「とりあえず家にある食べ物を何か口に入れる」という対処法を覚えました。

 

消費では自己実現できないから仕事で自己実現を目指す

上記にあるように「欲望による消費」は永遠に満たされることはありません。かつて資本主義においては「人はものを消費して満足する」とされていましたが、欲望が続く限り、消費しても人は満足しない。その結果、人は「働くことで自己実現を目指すようになった」と本書では述べられています。それが現れているのが、最近の転職率の上昇だそうです。決して仕事への満足度が下がってきているわけではないのに、転職率は上がっており、その原因が「自己実現をするために、自分にあったよりよい環境を求めている」からである。本当にそんなにシンプルな話なのか?と少し疑問に思いつつ、でも自分の体感としては「たしかに…」という感覚もあります。私自身はそんなに消費熱心な人間ではないのですが、それでも仕事は「ここが本当に自分に一番あっている環境なのか?」という問いを自分に投げかけてしまうことは多く、その理由が「仕事を通じて自己実現をしようとしているから」と言われてしまったらそれは今の私には否めません。ここまで書いてふと思いましたが、千と千尋の神隠しは「ここで働かせてください」という物語でしたね…千尋のように、「ここで働く以外に生きる方法はない」という状態であれば「もっと他の仕事をしたほうが自分にとって良いのでは?」という不安を感じずに生きていけるはずなので、選択肢があるのは幸せなのか不幸せなのか、ふと立ち返ってしまいます。

サマリ

「働く」について、せっかくの10連休なので考えようと思ったものの、結局本を2冊読んであとは出かけたら終わってしまいました…人は定住で暮らす限り退屈を抱えてしまう、そしてその良い使い方を知らない庶民の私達は働いてその時間を充実した気分にせざるを得ない。その「働く」の奴隷になってはならないが、「働く」ことと消費活動は対称的なものではなく、混ざり合ってきているのが昨今の流れのようだ、というのが2019年に考えたことでした。

この本の面白かったところは、著者はノルウェーの人ですが、日本国内で言われるのと同じような懸念を示している箇所が多々あり、「日本では〜〜〜」と言われていることが日本だけではないということに気づけたところにもあります。もちろん程度の差はあると思いますが、今後の仕事・人生を考えていく上では、日本以外の人も同じ問題を抱えているはずなのでいろんなものの見方を取り入れられれたらいいな、など思いました。ごきげんよう