おいしさはやさしさ

旅行の日記とか独り言です

「暇と退屈の倫理学」を読んだ

随分昔に買って、半分ほど読んでそのまま放置してしまっている本がうちにはたくさんある。せっかくこのGWはどこにも出かけないことにした(!)ので、暇だな〜と思い少しずつ本を読んでいる。

昨日〜今日にかけて、「暇と退屈の倫理学」を読んでいた。結論にたどり着くための議論以外がちょくちょくあり、「この哲学者は自分の主張のために読み違いをしている/建設的な議論ができていない」という上から目線(?)が一般人の私には気になりましたが、あまり普段は哲学書というものを読まないのであまり文句は言わないことにします。

 

暇と退屈の倫理学 増補新版 (homo Viator)
 

 

詳しい話は本を読んでもらえれば良いので、私が個人的に意外だと思い記憶に残った3ポイントについて覚書を残しておきます。

浪費と消費

日常的に使う用語としては、消費については可もなく不可もない用語、浪費はネガティブな意味を持つ単語というイメージがありますが、本書ではそれぞれ対象と意味合いが少し違って使われます。浪費は、「生活の必要最低限のもの以上に、それらを受け取ること」、つまり必要なものを使い、その程度が大きいことを指しています。例えば、人間の生命維持のために食事をすること、それをたくさん受け取る=たくさん食事をする、良いものを食べること、などです。食事は必要なものだし、過剰に行なっても人間の限界があるため一定を超えることはありません。

対して、消費という用語は、何かを使用したり受け取ることではなく、その概念を指します。例えば、食事をするにしても「最近流行りの」「ミシュラン星付きの」食事をすること等を消費と定義してします。浪費が上限を持つのに対し、消費は天井がありません。社会やステータスが作る概念には終わりがなく、消費を続ける限り、それらを追いかける必要があります。「足るを知る」は消費の中では起こりえません。

過去は「需要と供給」といえば、人が本当にほしいものが「需要」でしたが、消費という概念がうまれ、「人にほしがらせる」という仕組みに則って今の経済が回っていると言えます。今まで「浪費」はあくまで「消費」の行き過ぎた形だと思っていましたが、そもそも受け取っている価値がそれぞれで異なるという発想が今までありませんでした。SNSをしていると、他人の動向が気になる、旅行に行ったり美味しいものを食べているのを見てしまい羨ましくなり嫉妬する、という受け取り方をする人がいるとネット上の記事で見ることがあります。私の周りではそのような感想を述べている人はいないし、自分も特にそういった感情を抱くことはなかったのですが、もしかするとこの「消費」という価値観の捉え方がその分岐点なのかもしれない。

複数の環世界を行き来できるからこそ、退屈する

本書では、「環世界」という用語が出てきます。哲学的用語らしいのですが、日常の感覚に照らし合わせると「会社や学校にいるときの私」「家族と向き合っているときの私」「趣味の世界にいる私」がそれぞれキャラクター・日常で意識する点が異なることを指しています。人間がこのように複数の環世界を持っているのに対し、動物は比較的固定された環世界を持っているというのが、人間と動物の違いといえます。詳しい例は本文にダニの生活や、盲導犬の育成について書いてあるのでそちらに譲りますが、人間は複数の環世界を持ち、行き来が容易にできてしまうからこそ退屈する、と本書では述べられています。複数の環世界を持つということは、すなわち興味の対象が一定ではないということを指します。一つの環世界しか持たず、一つの対象にのみ集中していれば良い、というのであればそれに全て意識を集中させれば良いのですが、それが揺れ動いてしまうが故に退屈するのです。一つのものだけに意識を向け続けることが難しく、その意識の持って行く先がないからこそ退屈する。環世界を複数持っていることは一見幸せなのに、実は退屈の原因となるのは、すごく逆説的に思えます。

退屈は、感情ではなく心理的状態

このトピックは本文ではなく新版付録に書かれていたのですが、「そもそも退屈とは何なのか?」という話。人間はふと「なんとなく退屈だ」と思うので、それがあくまで感情のように思えますが、実は退屈とは感情ではなく心理状態だと筆者は述べています。また、暇が現れたときに「退屈だと思う人」「退屈だと思わない人」がおり、その違いは、そこまでに経験してきた様々な経験の積み重ねにある。「退屈」というのは、「何らかの不快から逃げたいのに逃げられない」という心理的状態を表していると述べられています。退屈がなぜ辛いかというと、退屈になった途端、心に溜まっていた不安を無視することができなくなり、考えざるを得なくなるから。

その気持ちは少しわかるような分からないような気がします。昔読んだWeb上の記事で、「日本人は連休を過ごすのが下手」というのがありました。個人的には、自分の連休の過ごし方について他人にケチをつけられる必要があるとは思えないのですが、その記事曰く、日本人は「連休があると旅行に行く or 寝る or 家事をする」くらいしかすることがないそうです。逆に他にどういう選択肢があるというのか。休んでいても文句をいわれ、旅行に行ったら「日本人は忙しない旅行しかできない」と言われ、なんだかどうしようもない気持ちになりますが、そうやって他人の過ごし方に口を突っ込まないといけないくらい、自分の心と向き合うのが怖いのかな…なんて思ってしまいました。

 

そんなこんなで、面白い本だったのでGWに「暇」で「退屈」している人がいればぜひ読んでみてください。ごきげんよう