おいしさはやさしさ

旅行の日記とか独り言です

季節の移り変わりを花で感じたい

子供の頃はニュータウンに住んでおり、家の裏に山があったので季節を自然で感じる機会が多かった。土日の夕方に意味もなく父親と弟の3人で散歩に行ったのをふと思い出す。春になるとノアザミで手を切り痛い思いをして、夏になれば庭にはびこるツルニチニチソウをちぎっては手が痒くなり、秋になったらススキの花を見て、冬は全ての植物が茶色くなるのを見て季節を感じていた。

親が比較的植物好きだったこともあり、当時住んでいた一軒家の庭にもいろんな植物があった。白梅、紅梅、桜、紫陽花、柊(庭に勝手にオシロイバナのタネを撒き散らして花壇の一区画をオシロイバナまみれにしたこともあった)。冬になるとサボテンなどの多肉植物を屋内に避難させるので、一緒に部屋に入ってきたカメムシが靴の中に入ってしまい匂いに悶えた日も少なくなかった。

一軒家から引っ越してマンション暮らしになっても、母が食用植物を育てたりするなど近くに植物はあったが、以前より花を目にすることはなくなった。東京で一人暮らしを始めると、生活圏内では街路樹以外に植物を目にする機会はなくなった。会社勤めをはじめてから、太陽が沈むのを目で見る機会も少なくなった。

幼少期の自分が当たり前に感じていた季節の変化を、暑さ寒さとカレンダーの数字でしか感じられなくなる、そんな暮らしのギャップが怖くて、少しでも自然に近づこうと、花屋を見かけたら花を買うことを社会人1年目は心がけていた。でも、花を買ったらあとはほったらかし、気がつけば花がしおれて花瓶の水が濁っているので生ゴミと一緒にポイ。花を選ぶ時もとりあえず「季節の花束」を買っていた。花に向ける心の余裕もなくなり、いつしか花屋があっても花を買わなくなってしまっていた。

2019年、生活を大切にしようと一念発起して早く家に帰るように心がけている。早く家に帰ると、家に滞在する時間が長くなり、空間を快適なモノにしたいという欲が生まれる。その思いで花屋を目にすると一輪挿しの花があるのに気がついた。好きな匂いの花にしてみよう、と匂いを嗅いで選んだのはスイートピー。ちょっとくどいキャンディーのような甘い匂い。ほのかなピンクと紫、青のグラデーションの花を連れて帰った。定期的に水を変えてあげると2週間ほど花は咲き続けてくれて、ちゃんとお世話することに意味を見出せるようになった。

今日も晩ご飯の材料を買いに出かけたついでに花屋を見かけたので花を買った。ヒヤシンスと椿を天秤にかけ、この冬一番くらいの寒い日に買うなら椿、と思い連れ帰ってきた。茶道部の頃は「少し先の季節の花を先取りするのが粋」と聞いた気もするけれど、わたしは今を感じて生きていきたいので寒い日には寒さを感じられるものを。うちには椿のしっかりした木を支えられる花瓶はなかったので、ちょっと前までチャイキャンディーが入っていたどっしりしたガラス容器を花瓶がわりにしてもらっています。たくさん蕾がついているので、ちゃんと全部花開くといいな。そんな土曜日です。ごきげんよう

 

Odai「今日の花」