おいしさはやさしさ

社会人になりました

限界が来ても、別の世界を持っていること

2月という中途半端な時期だけど、今週末は3連休にして一人旅をするぞ、と企てている。3連休って、海外旅行には短いし国内旅行かな〜と思ったのでまったり構えていたのだけど、宿やら交通手段やら、そもそもの下準備やらに時間を割けていなくて今さら焦っています。でもこうやって普段と違うことを考えられる時間があると、意外とそっちに集中力を切り替えられて頭がすっきりすることに気が付きました。気がつけばガイドブックとか見ないでインターネットを頼りに旅行をするようになっているのですが、海外旅行に比べて国内旅行って情報が手に入らなさすぎて歯がゆいですね。海外の情報はかっこいいからブログに書きたくなるし、言語の壁があるからある程度なんでも書けるけど、国内ってそうもいかないんだろうな…などなど思っています。いつもそんなブログたちに助けられて旅行をしているタイプなので、今回の旅行が終わったら私も情報をまとめて発信しても良いかな。

話は変わりまして、こちらを読みまして。

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私も比較的「消えてしまう人」だったので、この話を見ながらいろいろと思い出してしまう記憶がある。「誘われたことは断らない」「やらないよりやってみる」をモットーにしばらく生きていた結果、自分がそこまでやりたくないことに首を突っ込んでみたり、誘ってもらって入ったチームに期待されることに自分が応えきれずやめてしまったり。今の自分も、身の回りの環境や自分にかかっている負荷をちゃんと測れているといえないので、また急に限度を越えて消えてしまうこともあるかもしれない。とも思いつつ、そういうときの自分を振り返って状況を言語化すると「つらいと思っているんだけど、そのつらさを言語化できず、その思いを他人に共有することができず、吐き出し先がなくなった結果、存在を消すという選択肢しかないように思える」という感覚のように思います。辛いと思っていても、その辛さを何かしらの形で発散してしまえば、その辛さからは一旦気をそらすことができる。辛い環境にあるとわかっていれば、逆に辛くない環境ってどこにあるのか、を考えることもできる。

でも、それが叶わないときに待っているのは、辛さを覆い隠し日々を過ごした結果、思いのやり場がなく全てを放り出してしまうこと。「消えない」人はきっと消えないで済む方法を知っているから消えずに今までこれているし、なんでそんな行動を取ってしまうのか意味がわからないんだと思う。私も正直自分が元気なときは全然共感できない。元気じゃないときは、しょっちゅう消えたい気持ちになっている。そんな気持ちになるけど、その「消えた」あとに待っている世界は逆にじわじわと厳しくて、存在を消した先のコミュニティに踏み入れることはとても難しくて、そんな選択をとってしまった過去の自分に後悔を抱えてしまう。この悔しさを知ってから、「やらない後悔よりやる後悔」というモットーはそのまま、でも「辛いと思ったらちゃんと辛いって言う」を新しくルールに足して今のところ数年間過ごしています。辛かったら「つらい〜〜〜」って叫ぶ。職場でも冗談ぽく叫びまわっている。迷惑な新人である。笑

今回旅行の準備をしながら、私にとっての旅行は「今の自分からの逃避」であるものの、一つの「限界」の外にある世界なのかもしれない、と思いました。そういう意味で、世界を同時並行で複数持っていることって大切なのかもしれない。ひとつの世界(例えば仕事)で限界を迎えていても、もうひとつ(例えば旅行。誰かにとっては家庭。副業先や趣味の世界もあるかもしれない)でも同時に限界を迎えることは確率として低くて、そうやって自分のバランスを保つことに意識的であることもひとつの今後をうまく生きる手段かもしれない。っていうことを、学生時代に社会人の先輩から聞いたなあとふと思い出しました。

なにはともあれ「消える」のは、自分にとっても周りにとっても幸せでないのだよな。今の自分が精神衛生的に元気だから言えるけど。などなど。あと2日働いたら旅行なのでがんばろう。ごきげんよう