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おいしさはやさしさ

社会人になりました

「アヘン王国潜入記」感想

気がつけば2月も折り返しですね。明日はとてもあたたかくなるやらなんやら。今日は突然指の皮がかゆくなって固くなってなんだか違和感を感じます。季節の変わり目とかに時々なるんですけど、原因は何なんだろう。24年間日々を過ごしてきた身体だというのに、まだまだ分からないことだらけです。

最近鬱々しがちで、今日も鬱々してるっちゃしているのですが、そんなことしてても仕方ないので久しぶりに本の感想でも書いてみます。

 

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

アヘン王国潜入記 (集英社文庫)

 

Kindle版がセールになっていたので買いました。この筆者、高野さんは私がよく読んでいるブログ(チェコ好きの日記)で最近知りました。当たり前じゃないことをさも当たり前のようにさらっと書いてしまうところに文才と逞しさを感じます。そして毎度のことながら以下ネタバレです。

このエッセイの舞台はミャンマーの山奥に住むワ族の居住地帯です。去年の夏に行ったミャンマー、こんなに奥深いところがあるなんて正直知らなかった。旅行が好きで、特に文化の違いを感じるところに面白さを感じていて、旅行の先々で「同じ顔形の人間なのに、住む場所が違うだけでここまで差ができるものか」って感想を毎度求めてしまう。なので、欧米とかのいかにも外国な国より、アジアとか南米とかの人種として似ている感じのある国に行くのが好きです。

アヘン中毒のあたりは、自分に今まで縁がなかったものとはいえ意味が分かるぞ、という描写でした。めっちゃしんどいんだけど、薬飲んだら元気になるから頑張っちゃって、そのあと薬効が切れて死ぬ、があまり疲れが取れず、の永遠ループの感じ。

全体通して「国家とは?」というテーマがあるように読み取れたのですが、この感覚って別にミャンマーに限った話ではなくて、陸路で隣の国とつながっているところなら感じざるを得ないと思う。政治上の分類と文化上の分類が一致しないところ。日本でも、他国と国境こそ接していないもの地方と都会ではまったく文化は違うし、テレビとか見ながら「ほんとに同じ国のはなし?」って気持ちは首都圏以外に住んでいる人は一度ならず抱えているはず。何をもってして、その国家に属しているといえるのかどうか。国家が正義の場合、国家に反するものは反正義。今のアメリカの移民を取り巻く環境も、国家がなんというかに振り回されるのは現象として否定出来ないのでは?はてその場合、どの国家の庇護に入るかは自分で決められるのか?民主主義とは?とかいう気持ち。

他の本も読んで、高野ワールドに頭が染まった結果、お金を稼ぐよりも生活を楽しむことに重きをおくことが羨ましすぎて、「生きるのに不自由しないためにお金がほしい」という気持ちになりました。

なんだか話が飛び飛びになってしまいましたが、このあたりで。今日行った本屋さんは、本の分類が私と違うかたちだったようで、あるはずの本が結局見つけられずもやっとしました。なんだか今日は一日通してそんな気分だ。