おいしさはやさしさ

社会人になりました

自分にはダメなところもあるけど毎日は続く

水曜ですね。

読みまして。

理由がなくたって愛されていいのだ - インターネットの備忘録

今日も昨日に引き続き飲み会で、今回は少人数だったけどあまり飲みに行ったことのない人ばかりで、まあ今日も話せなかった。自覚ないけど人見知りなのかもね(って言われて確かにな、ってなった)。相手の許容範囲をはかってから言葉を放つようにしているんだろうな、っていう感覚を得た。スベりたくないとか傷つきたくない、っていう感覚はないでもないけど、どっちかというと発言するほどのエネルギーがないというのが正しい感覚かもしれない。今日は夜ご飯ちゃんと食べれてないし、集中力もぷっつんということもあるし、なによりメリハリが自分のなかでついてないからエネルギーかけるかけないの判断がうまくできてないんだろうな、って我ながら思うのだな。生きるのに省エネになってきている。もともとそういう人間だといってしまえばそこまでかもしれないのだけど。。。

こういうときは往々にして無駄に考えすぎてしまう、というのは承知の上で書くと、「いるだけでいい」っていう存在は仕事とは別の場所で起こるんだろうな。仕事で求められるのはパーソナリティというよりも成果を出すスキル側のはなしで、そうじゃない関係が自分という存在をまるっと受け入れてくれるだろうし、その関係性があるからこそ仕事で力を発揮できるのかもしれない、と最近思っています。自分という存在を肯定してくれる環境が職場なのはラッキーなことだけど、それを職場に求めてしまうと妙なことになってしまうのではないか。有り難いことに職場の人に恵まれている(と思っている)のでそういうのを求めがちなんだけど、いやいや気をつけなよ私、ってもう一人の自分がよく囁いている。とりあえず仕事以外の人間関係大事ですね、っていう当たり前のことを改めて感じます。

 

話は変わって、

はせさんが書いている文章のなかに、自分が求めているであろう状態が書かれていた。

自分の中に「書くための回路」が通ったような感覚が発生する瞬間が、確かにある。そしてその「書くための回路」が開通すると、目の前にある何気ないこと、身の回りに起きるささやかな出来事をちゃんとキャッチして、言葉へ変換できるようになる。見えているものの解像度が上がり、視界がクリアになったような気がして、同じように見えてこんなに違う、こんなことやあんなことがあったのに、今までのわたしは見落としていたのだな、という状態になる。

 なんとなく半月ほど毎日続いているブログ更新だけど、きっと私が求めているのはこういう感覚なんだろうな、って思う。自分が言いたいことを言えていない不自由さに気がつけたのもブログで文章を書いていたことがきっかけになっているだろうし、頭の中ですごい勢いで文章といい情景といい何かが流れていくのをキャッチできるように網を張っている。面白い。この感覚を大事にしていたい。

今日は仕事がうまく回せなくて、そのことを認めたくなくてギリギリまで頑張ってでも自分でどうにもならなくて先輩に頼って、悔しくって先輩と話しながら文字通り泣きべそ状態だったのですが、その状況をも自分で言語化して振り返っている自分にあとで笑ってしまった。前にもこういううまく回せない仕事があって苦しかったんだけど、共通点があるな、って思った。抽象的なことを具体的なプロセスに落としていく作業が私にとってハードル高いらしく、そういう系の仕事は間違いなく引っかかる。「決め」が足りないからできないんだよ、って言われたけどなんだかそれだけじゃないようにも思うなあ。一歩落としてしまえばあとはブワーって並べられるんだけど、手法を知らないからか経験不足か、ほんとにここで詰まりがち。そして、そんな仕事が与えられたときにぱっと気がつければ良いけどそうでもなくて、だんだん爆弾化して一人炎上させてしまうのである。自分ができないことがあるのが悔しくて、でもそれをできないと認めて人に頼るのが悔しくてできなくて、そんな自分が不甲斐なくて泣く。もう社会人なのにな、いい年しているのにな…思い返せば子供の頃から「できないことがあったら泣く」ことはよくあって、そこから成長できてないなって悲しくなる。自分ができないことがあるのって認めたくないけど、できないって認めないとどこにも進めないしきっとそれが次のステップへの越えるべきハードルなんだ。もうすぐ新卒1年目も終わってしまうけど、泣かないようになりたいな、って初歩的なことを思いました。この涙の理由を説明できるようになったのが一つ成長ですきっと。

ド平日に飲んで終電で帰ってこんな時間。おやすみなさい、明日も良い日になりますように。