おいしさはやさしさ

旅行の日記とか独り言です

何かを決めるときは責任が伴うのであって

まだまだ卒論に追われています。1週間後には発表会も終わり旅行に行っているわけですが!!!楽しみ!でもどっちかというと旅行に行くより、張り詰めた日常から解放されてダラダラした日を3日くらい挟みたい…という贅沢。

話は変わって、

epochmaking.hatenablog.com

読みました。同感。ちなみに私も文房具には地味なこだわりがあるので、他人の筆箱を見せてもらえれば仲良くなれるか否かがなんとなく分かります。

今回の記事の文脈では消費について触れられているけれど、旅行してるときに「なんでもいい」って言う人が私はちょっと苦手です。規模は小さいながらも、レストランで大皿を注文しよう、というときに相手が決めてくれずに自分に選択権が全て回ってくるときもストレスを感じる。

というのは、何かを決めることで少し先の未来が変わるから。
決断をするということで、精神的に次の出来事に対して責任を負うことになると思っている。レストランで「なんでもいいよ、合わせるよ」と言われてメニューを選んだら、そのメニューが美味しかったときはともかく、そうではなかったときに抱く「残念…」という感想を相手の分まで背負うことになる。旅行先で「次どこ行く?」となったときに自分が行き先を決めて進み、その後強盗に会ったりしたら、「自分がこの道を選んだから…」ときっと引きずってしまう。

だったら、自分と違う意見でも構わないから、何か自分の思うことを表明してくれる人の方がずっとやりやすい。自分の主張(テーゼ)と相手の主張(アンチテーゼ)を統合してできた決断(ジンテーゼ)ならお互い納得できるだろうし、何かあってもそこに至った理由を確かめることができる。どうせ誰かと何かを選択するなら、自分と一緒くらい思いを持って一緒に責任を背負ってくれる人がいいな、とこっそり思っています。*1

私がすぐに一人旅とかひとりごはんに走ってしまうのは、、自分の選択で他人を左右しなくて良い、という責任感からの解放と、相手してもらう人の性格や好き嫌い、趣向の違いを気にしなくて良いという気苦労のなさを好むからなんだろうな…とすると人に耐性のない、心の狭い人間のようだ…

ただ、キリスト教の聖書には

ひとりよりもふたりが良い。共に労苦すれば、その報いは良い。 倒れれば、ひとりがその友を助け起こす。倒れても起こしてくれる友のない人は不幸だ。(コヘレト 4:9~10)

とありますし、きっと一人で頑張るよりも、人と一緒に経験することって素晴らしいことなのかもしれないな…と思いつつ、いつまでも一人であちこち行ってしまうのでした。

*1:一人で多くの人の生活を背負う一家の大黒柱や会社の社長ってすごい…