おいしさはやさしさ

旅行の日記とか独り言です

「読書の日記」を読んでいる

一度物書きモードに入ると物書きしちゃうんですよね。ということで、「読書の日記」を読んでいます。本日読み始めました。

フヅクエの読書会に行ってきました。

http://fuzkue.com/entries/556

みんな同じ本を読んでてシュールでした。読書会なのに、本について会話をしない内的読書をあえて物理的に同じ場所でするってユニークだし、それも今回は本の筆者が同じ空間にいることもなんだか不思議な気持ちでした。本の良さは、同じものを読んでも解釈が人によって異なることにあると思っているので、解釈をぶつけ合うのは面白いと思うものの、なんだか読書という行動に対してアクティブすぎる印象もあり、「個々人が読書をすること」を目的とする場は、目的とか考えないのであれば(むしろ設定するのがナンセンス)なかなか愉快だなぁ、というのが個人的な感想です。ただ、わたしは、「自分の書いたものが個人を特定される状態で受け止められる」ということが怖すぎて無理なので、筆者/店主の心が強いなと慄き(だったらそもそもブログを書くなというのも1つありそうな指摘ですね)(書くけど)。

日記を読んでいるだけなのに、返事をしたくなるのか、なんだか自分も読書の日記を書きたくなる不思議な本です。日頃読んでいるブログとか、仕事で接している人は「目的ありき」「必ずこれは楽しめるという確証」を持って読書をしているイメージ(勝手に)なので、こうやってモノを食べるように文章を書いている人がいることに気づけて良かったです。まだほんの4分の1ほどしか読めていないので、毎日静かにコツコツと読み進めたいです。

フヅクエというお店は前から気になっていたものの、都内を横切らないといけないリッチだったのでなかなかきっかけが掴めておらず、今回足を踏み入れられて良かった。わたしも本好きだけど、「本好きのための空間」を作るほどではない&あれば行く、という感覚だったので、実際にそういった空間を現実に作るところに感服。ちなみに、ドリンクが「本に集中したいときってこういう飲み物がそばにあるのが理想だよね!」というチョイスで嬉しかったです。

みたいな読書会参加日記です。次回フヅクエ来訪時はぜひソファに座りたい!ということで、ごきげんよう

気がつけばまた更新が2ヶ月ほど滞ってしまいました。ここ最近は地震だったり豪雨だったり、出身地のあたりがなにかと騒がしく心配な日々です。特に何があったわけでもないですが、2018年第一四半期を振り返るメモです。

人生3度目、台湾に行った

2018年は人生で一番といっても過言でないほど海外旅行に行っています。前半だけでも述べ1ヶ月くらいは国外に出ているような気がする。GWのヨルダン・ドバイ旅行に続いて台湾に行ってきました。今回は3人旅。自分ひとりだと何だかんだ観光地めぐりを熱心にするのですが、テーマは食い倒れ旅行。心の赴くままに出向く旅でなんだか新鮮でした。3泊3日で小籠包8回食べた。

ふと数えてみたところ、28ヶ国・地域も訪れていたらしい。一人で初めて海外旅行をしたのは大学1年生の春休みだし、大学生の間はなんだかんだサークル活動もバイトも頑張っていたので、旅行にゴリゴリ行き始めたのは大学5年次なのではなかろうか。社会人になって、「一人のうちしか周りを顧みず旅行できないのでは!」という気持ちになってせっせと旅行に行っています。が、なんだかいろいろ新鮮味がなくなってきたりしている。リゾート地でまったり、というのはなんだか性に合わず、遺跡を見に行くことなどが多いのですが、遺跡の近くは高級ホテルorバックパッカー宿、ということが多く、なんだか最近はどちらにも気持ちがなじまずモヤモヤしています。「どうせ寝るだけなんだから」高級ホテルに泊まるほどではないと思うものの、バックパッカー宿の湿った布団はなんだか寝心地が悪く…でもそんなことを言いながらまた旅行に行ってしまうのでしょう…

 

サピエンス全史いわく、昔は旅行なんて娯楽ではなかったと。ロマン主義の世になり、見聞を広めることが徐々に娯楽になり、昔は羨望要素でもなんでもなかった「一時的な遠出」を人間はさせられているのだと。ロマン主義、はさておき、冷静に考えると旅行という楽しみ方は、第一次産業のような「日々同じ土地にいて少しずつなにかをすること」を求められる人以外の娯楽なのでは、と思ったりもする。あと旅行ってお金さえ使えばやりたいことが達成される、努力を必要としない趣味なんだよな…だからって何、というわけではありませんが…

異動した

新卒で入った会社で継続勤務3年目を迎えたのですが、この7月に部署異動をしました。UI/UX系の部署から、データ分析系の部署への異動です。バックグラウンドにUI/UXの知識もなく、データ系の知識も今のところなく…でもUIUXよりもデータ分析の方が技術よりだと思っており、何らか「目に見える」スキルがつけられるところに魅力を感じての異動です(あとは社内での立ち位置とかいろいろ思うことはあるものの、大したことは語れないので一旦スルーで)。「データ分析」は今は流行りであるものの、今後もずっと求められるのか(人が担当するべき仕事なのか)というところは少し不安ではあるものの、せっかく物事を見るときの視点を変えられる機会なので異動という道を選びました。さっそくDB系の言語を習得せねばという気持ちで、土日はPythonを自主学習。新しい物好きなのでしばらく頑張ってみます。

プログラミングも旅行も、人の備忘録に助けられることは多々あるので自分の学びも記していきます。

hfu62 - Qiita

水泳を始めた

東京に引っ越し&座りっぱなしで仕事=意識しないと運動する機会はない、ということにはずっと気づいていたものの、なんとかなるだろうと腹を括っていたら、会社の健康診断で私史上Max値の体重を叩き出してしまいました。引っ越し直後に買ったタニタの体重計にも「身体年齢は31歳(※先日26歳になったところです)」と言われてだいぶショックだったので水泳を始めました。週一ペースですが、今のところ3週間続いています。だいぶ久々だったので、思ったほど身体が動かず、「これが抗えない年齢による悪化…?!」と思うものの、3回目にもなると身体が水に慣れてきた気もします。体重も徐々に戻ってきているような気がしたり、毎週の筋肉痛に達成感を覚えたり、紀のせいかもしれないけれど身体に良いことをしている、という過剰な意識で夏の間頑張ってみようかと。目標はありませんが、社会人になってからやたら風邪をひくので少しでも体力がつけば&体重を社会人はじめごろの水準に戻したい。ちなみにスマホの触り過ぎか、じわじわと視力が落ちており、コース選定時にどのレーンが何用かわからず難儀したりしています。

そんな日々です。ごきげんよう

それぞれの「ひとかたまり」

GWも飽きずに旅行に行き、ふと気づいたことがあったのでメモ(今年は年始&2月&GWでそれぞれ1週間も海外逃亡してしまっている…荷物を家に置くために不在分の家賃を支払ってしまっている…)

ヨルダンでディナールという通貨を5日ほど使いました。ちなみに、1ディナール=1000フィル。もう人生で20ヶ国以上旅行しているので、コインを見ると大体どういう数字なのか分かるのですが、この国には500ディナール、250ディナール、100ディナール、50ディナール、10ディナールの硬貨があった。で、ついて早速水を買おうとしたら「thirty」と言われ、100ディナールを3枚出して水を買った(30じゃないじゃん)。そのあと他の店で水を買おうとしたら、英語が話せない人で困った困った、そんなときにコインを上から順番に出したら、250ディナールを持っていかれた。で、なるほどな〜と気付いたのが、250って「半分の半分」てことなんだ、ということ。アメリカにも25セント硬貨があって、わたしが前に旅行したときは「25」と捉えてたのでめちゃめちゃ使いづらい硬貨だったんだけど、「1ドルの半分の半分」と捉えられたらずいぶん使いやすくなるな。。きっと、「ひとかたまり全部はいらなくて、半分でもそんなにもらうの悪いから、もう一回半分」という使い方をする硬貨なんだろう。

なんてことを旅行中にぼんやり考えており、逆になんで日本には25という単位の貨幣がないのか?と今日ふと疑問に思った。25ではなくあくまで20か30を使うのでは?と。そこで思い出したのが、この話。

http://studyhacker.net/columns/good-language-to-study-math

中国語や日本語は、数字を10進法で捉えるので数字の概念を掴みやすく、数学に強いという話。アジア圏(中国と早くから交流があった国)では、ひとかたまり=10、なんだろう。たしかに、中国や韓国、台湾のお金には25という単位の貨幣はなかった!

一方、欧米は12進法が基本という話からも、クオーターという概念に納得。たしかフランス語は12進法、60進法だったな…という記憶で(84という数字は「60と24」って捉える言語なんですよね)、過去のフランスの通貨フランについて調べてみたらやはりクオーターコインがありました。納得感〜!フランス人の人たちはユーロになってクオーターがないのは大変なんだろうな…あと、アメリカになぜ2ドルコインがあるかも腑に落ちて、あの国は倍/半分、という考え方でお金を計算してるんだろう。どうりで店員さんの計算がやたら早いわけだ(引き算じゃなくて「半分」と捉えるだけでいいもんね)。

という、「ひとかたまり」の概念が国によって変わるのが面白いな〜と思った本日でした。エンジニアの人たちには「1024」もひとかたまりなわけで、それはそれで面白い。

このGWは、香港→ヨルダン→ドバイ、というなかなかユニークなルートを回り、いろいろと面白かったので、また思いだしつつ振り返りたいなと思います(といいつつ結局いつも振り返れてない…)。最近面白いことないな〜と思ってたのですが、面白いことを引き寄せるためには面白い人にならなきゃ、面白いことを考えてるのが人に伝わらなきゃ面白いことは集まってこないのでは?みたいなことを考える日々です。

!مع السلامة

幸福度を高める地図

最近のわたしの課題は「要約力の低さ」にあるので、TEDを時々見てはサマリを書く、というのをやってみます。

本日はこちら↓

Daniele Quercia: Happy maps
http://go.ted.com/mSN

世の中一般に使われる地図アプリは、最短の道を表示してくれる。効率化がすべての世の中においてはそうあるべきだが、実際人間は自らの感覚を使うなど効率化以外を求めることができるべきである。スピーカーは、不特定の人々の判断をもとにして機械学習を行い、今までの地図アプリと異なる、「美しい道」「xxな道」「静かな道」を選べる地図アプリを作った。効率という基準はあるが、それ以外の価値をより見出していきたい。

 

という話でした。

私自身は地図が読めず、地図アプリを使うものの道に迷って結果面白いものを見つけることが少なくないので、地図が頑張って示してくれてもなかなかそれを活かせないんだろうな、というのが個人的感想。ただ、今までは数字で図りやすい「効率」に世の中的重きが置かれていたのが、機械学習など技術の進歩によって「美しさ」などを数値化して比較できるようになってきている、という意味で面白い話だと思った。もちろん「不特定多数の人たち」のアンケート結果によるものなので、個別最適化はできないんだろうけど、そのために情報を一人の価値基準で判断したものの価値は残り、結果キュレーターという仕事はなくならないのでしょうね。

などなど思った日曜の夜でした。今週は真ん中にお休みがあるのでうれしいですね。ごきげんよう

圧倒的スランプ

急に暖かくなって、花粉が飛び始めて、自分の調子が整わず、仕事でもなんだかうまくいかず、絶賛スランプな最近です。

 

ピンヒールははかない

ピンヒールははかない

 

 最近はこちらの本を読み終わりまして、強く生きていくって大変だなあ、という気持ちになりました。もちろん、自分で強く生きようと思っているときに読んだらすごく響く本だとは思うのですが…など言いながら、もともと筆者と考え方が近い部分もあるらしく、いまの疲れた心で読んでいても本文中に何度かマーカーを引く箇所はありました。言葉が通じる東京でだって、生きていくのにこんなに悩んだりしてしまうのに、それが海外でだなんて、わたしはそんなにバイタリティないわ…と逆にしょんぼりした気持ちになってしまいました。いや間違いなく自分が頑張りたいときに背中を押してくれる本ではあります!

 

という感じに、自分が頑張りたいのか頑張りたくないのかもついに分からなくなってしまい、いったん未来の私が悲しまないように周りの人とした約束は守りながら、日々とりあえず生きているのですが、春ってこんなにも苦しい季節だったのかなぁ…と、何でもないのになんだか泣きたい気持ちになって急に泣いたりしてしまっています。情緒不安定であります。

そんな時期もしばらくすれば脱出できると心のどこかでは思ってるんだけどな〜。ご飯あんまり食べてないから悲しくなっちゃってるだけなんだろうな〜。来週くらいには元気な自分になっていますように、という独り言みたいな日記ですが、ごきげんよう

理想の生き方と、実の生き方と

ここしばらく気持ちが少し忙しなかったのですが、心を落ち着けようと毎日通勤中に小説を読んでいました。

 

ことり (朝日文庫)

ことり (朝日文庫)

 

 わたしとは違って、毎日を丁寧に、自分で決めた世界からあえて出ないで暮らしている人の日々を追体験するような小説でした。職人のようだなと思った。

毎日、東京の都心を電車で通勤しながら、忙しない街だなと思いながら、なんだか気持ちが乗らないなと思いながら、でもまだ見ぬ何かをきっと求めてわたしは日々を暮らしているんだろう。けど、小説のなかに描かれている、着実で、なんだか理想的に見えて、でも自分が目指すかといわれると少し違う日々を追体験しながら不思議な気持ちになった。

小説のなかにいる人たちは、みんな望んでその生活をしているとは限らないけれど、でも多くを望まず、良く言うと身の丈にあった、悪く言うと上昇志向のない日々を送っているように見える。それに対して満足しているのか否か、読み取ることはできないけれど、自分も日々こんなに頑張らなくてもいいのかもしれない、という気持ちになってしまう小説でもありました(著者が伝えたかったものは決してそこにあるわけではないとも思いつつ)。

 

急に暖かくなって、沈丁花の香りがして、花粉症の症状が出始めて、なんだか憂鬱になる季節です。昔は春が単純に嬉しかったのに、なんだか切なくなってしまうようになったのはいつからなんだろう。そんなぼんやりした気持ちです。ごきげんよう

イタリアに行った

こないだもどっか行ってなかったっけ?!といろんな人に言われましたが、イタリアに行ってきました。いつか行きたいけどきっかけがな〜世界史勉強してから行きたいしな〜とか思ってましたが、ひょんなことから三人で行くことになり、突然決まりましたイタリア行き(半年前くらいから計画してた)。

行ってみての感想ですが、

・イタリアは万人におすすめできる旅行先

・ご飯美味しくてサイコー(久々に日本食ロスにならなかった)

・街によって全然雰囲気が違う(ローマ、フィレンツェベネチアナポリに行きました)

・ローマは人類の歴史を感じる。バチカンでかすぎて、キリスト教すご!と思ったけど、それより前からコロッセオがあるのもすごい。ローマ人すごい。あと道が狭い。車ちっちゃい。観光するとこ多すぎ。でも街のサイズはそんなにでかくない。

フィレンツェは、「いかにもヨーロッパ」って感じだった。ルネッサンスを絵に書いた世界のようだった。ドゥーオモでかいし登ったら景色すごいし、向かいの鐘楼ものぼりがいがある。ただ街が石畳なので、パンプスで行ったわたしは負け組。足痛すぎてニューバランスで靴を買いました(フィレンツェなのに…)

ベネチアはもはやテーマパーク。「ディズニーシーみたい!」「マカオにこんな感じの風景あった!」とか思ったけど、本物がここなのがなんだか不思議な感じ。海鮮が美味しい。地図あっても歩けない(方向音痴なので同行者に全て連れて行ってもらった)。白ワインが美味しいと人生で初めて思える日がきた。カーニバル中だったので仮面が街にたくさんあった。みんな楽しいのかどうか、仮面のせいでわからなかった。ベネチア共和国時代の貿易を目の当たりにしてみたかったな〜あと、寒かった。

ナポリは南米なんじゃないかってくらい治安が悪かった。ご飯美味しかったけど、ここには泊まりたくないなとおもった笑 マルゲリータは本当に美味しかった。カプリ島に行く船は本当に酔った。カプリ島は青と白だったので、なんだサントリーニみたいだった。まさかのリフトが動いておらず、ソラーロ山を徒歩で登った。山頂は貸し切りで、猫がいて、とびきりの贅沢だな〜という気持ちになった。あとイタリアの長距離鉄道は終電がはやい。

・美術館とかいろいろ行ったけど、有名な人も有名な絵もありすぎてすごい。これだけ回ってもだいぶ見きれなかった。絵画の背景は、事前に調べるより絵を前にしたほうが実感がわいて頭に入ってくる。いろんな建物の歴史も同様。音声ガイドは意外と役立った。

エスプレッソが美味しかった。ティラミスのアルファベットつづりがなぜか一通りツボだった。知らない種類のコーヒーが多くてびびった(知らないままあえて注文しがち)。甘いものはめちゃくちゃ甘くて、苦いものは目が覚めるくらい苦い、なんでも極端な国だ。

・ローマでオペラを見た。オペラってなぜかウィーンのイメージが強いけど、発祥はイタリア。いい席に座ったら周りの人たちがオトナだったので浮いた(気はそんなにしていない)。横の部屋みたいなとこ入ってみたかったけど、予約しようと思ったら席がもうなかった。イタリア語も英語も字幕で出てたけど、知らない単語ばっかりでよく分かんなかった。あらすじの勉強をしていくのは正解。歌い終わるたびに「??!」って思ってた。でも「オペラ見たな〜」ってじわじわ来てる。歌がすごかった(ボキャ貧)

・総じて、観光にお金を気兼ねなく出せるオトナになってから来てよかったし(学生なら半額らしいが、簡単に来れるわけでも…)、ワインを気軽に開けれる複数人でいって正解だった◎

ということで、旅行後の三連休後の復帰に今週は苦しみつつ、あと1日がんばろう〜ごきげんよう